死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

AI時代に求められる人間と教育のあり方

IT業界にいることもありAIの情報には敏感だ。

 

ネットでも至るところで議論されているかもしれないが、個人的にも、AI時代に求められる人間と教育のあり方について考えずにはいられない。

 

今回はそれを言語化して自分の頭の中を整理する。

 

結論、本質的なことはインターネットが登場した時から大して変わらない。これまで同様、知識の価値は下がり続け、経験の価値が上がり続ける。

 

つまり、インターネットが出てくる前よりも今の方が楽しい世界と言える。

 

子供にとっては、机に座って必要以上に知識を詰め込むために勉強するよりも、社会に出ていろいろなことを体験することの方が重要なのだから。

 

さて、わたしはAIを日常的に使っている。といっても「バリバリ使って生産性を上げています」というほどではない。調べものを時短する程度だ。

 

AIは、圧倒的に世界中の誰よりも知識を持っているし、それを駆使して与えられたミッションをまっとうするし、それをしっかり成し遂げてしまう。

 

デジタルの世界ではそれは明らかで、人間はもう敵わない。フィジカルの世界(物理世界)で活動するフィジカルAIの実力はまだまだだが、それも時間の問題だろう。

 

技術的には、5〜10年もすれば人間はAIに追いつかれ、追い越される。

 

ただし、労働力のほとんどがAIに置き換わるまでには、50〜100年くらいかかると想像している。

 

テクノロジーの進化は速いが、人の動きはとても遅いからだ。だから、焦る必要はない。

 

とはいえ、孫が大人になる頃には世界は大きく変わっているため考えておきたい。いや、ただ個人的に興味があるから考えたい。

 

では、AI時代の「人類のための」資本主義社会に求められる人間とは?

 

その答えはけっこう簡単で明確だ。

 

AIにはできないことをやる人間だ。彼らの市場価値は高くなり、それ以外は低くなる。

 

資本主義社会は競争社会でもあるため、勝ち組と負け組に分かれるが、その差はここに現れる。

 

ここでは勝ち組は生きるのに必要なだけのお金を稼いでちょっとした贅沢ができるくらいの人と定義しておこう。

 

ちなみに、価値観は人それぞれのため、必要なお金の量にも個人差がある。AさんよりBさんの方が稼ぎが少ないのに、贅沢ができていると感じられているケースが存在するのが面白い。

 

そして、AIにできないことは次の2つしかない。

 

  • 人類のために方針を決めて人間やAIに仕事を与える
  • 人に感動を与える

 

前者は、AIにできないことというよりも、人類のためにAIに渡してはいけない権限と言った方が正しいかもしれない。

 

人類のための世界を第一に考えるなら、最高権限は人間が持つ必要があるのは当たり前のことだろう。

 

この2つから想像すると一見、政治家や会社の経営者、プロのスポーツ選手、アーティスト、芸能人以外ないようにも思えるがそんなことはない。

 

人対人の仕事に就く人は皆、感動を与える人になることで市場価値が高まる。わたしがやっている営業職もテニスコーチ業もそれに含まれる。

 

レストランやカフェの店員もそうだ。高級ホテルのように、人類の感動のために、意図的に人間を採用する店舗は必ず残る。

 

また、人対物のブルーカラーには、フィジカルAIには置き換えようのないものも存在するだろうが、それはもはや感動を与えるレベルに尊敬される人だろう。

 

いや、ブルーカラー職は突き詰めるとすべて人対人の仕事と言えるのかもしれない。

 

前者(仕事を与える人)になる門は狭い。能力の高い一部の限られた人たちしかなれない。しかし、後者(感動を与える人)になる門は広く開かれている。誰にでも仕事を得るチャンスはある。

 

次に、勝ち組になるために必要な要素を考えたい。勝ち組になるために不可欠な要素は確実に存在する。

 

そのコアとなる要素が「情熱」だ。「意志」とも言える。「内発的動機」とも言える。「やりたい!」という気持ちだ。「夢中」だ。

 

仕事を与えるとは、仕事を生み出すということだ。感動を与えるということは、一生懸命何かをするということだ。

 

情熱がないと、人類のために仕事や感動を与える人にはなれない。情熱があれば、勝ち組になりやすい。

 

これも、本質的な話なので、インターネット時代やAI時代が来る前とさほど変わらないだろう。

 

昔から、情熱がある人の方が勝ち組になりやすい。

 

「情熱がなくても仕事をもらえている」と主張する人もいるかもしれない。しかし、これからはそれらの仕事からAIに置き換わる。

 

情熱は、インターネット時代よりもAI時代の方が重要になっていくと言えそうだ。

 

ここまでくると教育のあり方も見えてくる。

 

教育のひとつのゴールは、子供たちの情熱を育むことと言える。

 

では、どうすると子供の情熱は育まれるのか。

 

情熱は本人の内側からしか生まれない。大人が子供に与えるものではない。よって、大人は子供に情熱が芽生える環境づくりに徹する必要がある。自分自身も環境の一部と立場をわきまえなくてはいけない。

 

子供向けのテニスコーチと我が子の育児を経験したわたしが、それらの経験から学んだことは以下だ。

 

  • 子供にいろいろ経験できる機会を与える。
  • 子供がやりたいこと、やっていること、夢中になっていることはすべて、黙って見守る。
  • 先回りして教えない=言いたくなるのを我慢する。
  • 聞かれたことにだけ答える。
  • 頼まれたことだけ迷わず支援する。
  • ひとりの対等な人間として向き合う。
  •  驚いたら「びっくりした」と伝える。
  • 元気をもらえたら「ありがとう」と伝える。
  • 毎日ハグをして愛情を伝える。
  • それ以外は何も言わない、何もしない。

 

スクールに通う多くの子供たちや息子に対してこのような対応をたくさんしてきた。

 

すると、子供たちの目が明らかに輝くのだ。例外なく、すべての子供たちの目が輝く。

 

目の輝きを失っていた子供も、すぐに輝きを取り戻す。

 

自分で考えて、いろいろやってみていいんだと思えた時、子供たちの目は輝き、その活動に前のめりになる。

 

情熱は、その経験の先にある。