昨日の目標達成の投稿に母がコメントをくれた。そこにはこう記載されていた。
哲兵 優勝おめでとう
5年前に目標を立てて、達成することができた昨日という日の、ブログ読みました。
自分なりに目標を立てて、その間ストイックなまでに、雑音を避け 外への発信も控え でも、今がある環境や家族、友人に感謝して喜びを素直に表している姿に、胸が熱くなりました。
哲兵と名付けた、その名の通りに生きているあなたを、誇らしく思います。
2025.6.22 母より
これを読んだ時、涙が出そうになるのを堪えると同時に「え?」と思った。
名前の話だ。
「俺が?名前の通りに生きている?」
これまでこんなことを考えたことは一度もなかった。例えば「名前に恥じない生き方をしよう」などと考えたこともない。
何となくはわかっていたが、改めて、自分の名前に使われている漢字の持つ意味が気になった。特に「哲」の方だ。
そして、ChatGPTに聞くと、こう返ってきた。
賢い/知恵がある
優れた知恵を持っていること。頭が良く、判断力や理解力が高い人に使われます。
道理をよくわきまえていること単なる知識ではなく、「人間や世界の本質・原理」を深く理解しようとする態度や考え。
この意味では、思索的・抽象的な知性を表す。
深い洞察・思索表面だけでなく本質を見抜こうとする思慮深さ。
優れた人物を指すこともある「賢者」「賢人」のような意味で、人格的にも優れている人を「哲」と表すことがあります。
正直、驚いた。自分なりの自己分析結果や、目指したい人物像と丸被りだったからだ。
そして、「兵」についてはこうあった。
勇者・強者
古語的に「勇ましい男」。
間違いなく、テニスにおいてはそれを目指している。
これを理解した上で、もう一度母のコメントに目を通した。
哲兵 優勝おめでとう
5年前に目標を立てて、達成することができた昨日という日の、ブログ読みました。
自分なりに目標を立てて、その間ストイックなまでに、雑音を避け 外への発信も控え でも、今がある環境や家族、友人に感謝して喜びを素直に表している姿に、胸が熱くなりました。
哲兵と名付けた、その名の通りに生きているあなたを、誇らしく思います。
2025.6.22 母より
今度は涙を堪えきれなかった。
これは、間違いなく感謝の涙なのだが、勝手に出てきた無意識レベルの涙だ。
なぜなら、親の枠から早く出たいと思って生きてきたにも関わらず、結局、親の枠の中を生きていたのだから。
正直、悔しい気持ちもある。しかし、感謝せざるを得ない。けど、ドヤってほしくない。上から目線で話されたくない。ウザい。調子に乗るな。
私と母の関係は複雑だ。
さて、良くも悪くも、親の影響は、こんなにも大きいということだ。これを良いとは思わない。だから私は、息子と逆の上下関係を築く。
息子よ。俺を踏み台にして、どこへでも飛んでいけ。