「日本は精神的に自立できていない人が多いよね」
これはいつも一緒にテニスをしている仲間との会話の一部だ。彼も私もそう思っている。
私たちは週に1,2回テニスをする仲だが、移動中の車の中やランチを共にする時は仕事の話をよくする。
お互いホワイトな外資系IT企業のサラリーマンという共通点がある。私は平社員だが、彼は部長を務めている。
私としては上司の視点を学べるし、彼としては部下の視点に気づけるため、その会話はお互いにとって良い機会になっていたりする。
ふたりともいい年なので社会人経験が十分な上、前向きに仕事をしているタイプのため、話が合うことも多い。
彼はドイツの会社でドイツ人と仕事をしているし、ドイツに出張に行くことが少なくない。
私はインドの会社で、出張はそんなにないものの、オフィスには当たり前のようにインド人がいて、日々本社のインド人と連携しながら仕事をしている。
だからわかるのだ。
ドイツやインドより日本の方が、精神的に自立できていない人が多そうだと。
ちなみに、彼には高3と中1の娘がいる。私には中1の息子がいる。育児経験も共通点のひとつだ。
そして、先日の車中で出たのが冒頭の話だ。
「なんで日本は精神的に自立できていない人が多いんだろうね?」
これは私にとってとても興味深く、社会にとってとても重要な問いだ。
自分の子供たちにはそうはなってほしくないとお互いが思っていただろう。
そして、彼であれば、そういう部下が減ることを望んでいるだろうし、私であれば、そうでない同僚と一緒に仕事をすることを望んでいる。
精神的な自立は当たり前で、その上で生産性の高い人たちと仕事をした方が楽しいことを知っているからだ。
精神的に自立している人は、総じて生産性が高いとさえ言えるかもしれない。
さて、精神的に自立できていない人とは?
わかりやすく言うと職場における例えば以下のような人たちだ。
- 何かを指摘されるとへそを曲げる
- 少しでも嫌なことがあると凹む
- 否定されると感情的になる
いわゆる弱い人だ。だから誰かが面倒を見てあげないと精神を病ませてしまったり、場を荒らしたりする。
面倒を見るまではいかなくても、誰かが気にかけてあげないといけない人はそれに含まれる。
そのため、組織の生産性を著しく下げる人と言える。面倒を見るという、ビジネスの目的と対極にある仕事を増やしているのだからそれは明らかだ。
私は極力、会社でこのタイプの人間とは仕事をしないようにしている。
しかし、テニス仲間の彼は部下にこのタイプの人間がいるため苦労しているという。
私が会社に人の面倒を見る仕事はしないと出世拒否し続けている理由がこれだ。この手の面倒が大嫌いなのだ。
では、なぜ日本はこのような人が多いのだろうか?
私のテニス仲間は「教育が問題なんだろうね」と話していた。
それは一理ある。
一方で私は「育児のゴールは子供の自立」という考えを持っている。これは以前このブログにも書いた通りだ。
このことをわかっている大人が子供を産み、育てれば、その子供もそれができる大人になり、好循環が生まれやすいと考えている。
しかし、日本ではそのことがわかっていない大人が大半を占めているのだとすれば、確かに教育が問題なのかもしれない。
そう言えば、私の弟も妹も子供をふたりずつ授かっているが、それをわかっていなかった。だから、それを教えたことがあった。
それ以前に、そもそも精神的に自立できていない親が子供を育てているケースさえ日常的に観測している。
ちなみに、私の中1の息子は、とうの昔に精神的に自立している。私も妻も、そうなるよう接してきたからだ。
では、教育をどう変えていけばいいのか。
これは、とても難しい話なので、網羅的な話など到底できないが、ここまでの話を踏まえて好き勝手にひとつの答えを示すなら、以下かもしれない。
保育園や幼稚園、小学校、中学校までの義務教育では「子供が自立すること」に注力する。ここで言う自立とは、自分のことは、すべて自分で決めて、自分でやることを意味する。
それには答えはない。本人が自分の責任で答えを決める世界だ。
つまり、与えられる世界を生きるのではなく、さまざまなことを経験でき、後は自分にとっての正解を自分で見つけて、自分で選んだ道を自分で進んでいける世界を生きるということだ。
それができる世界を作ることこそが教育と考える。学力はその過程で必要性を理解しながら自ずと身につくものと考える。
当然、多様化が進み、個々人にあった教育者(というよりは支援者)が必要となるため、教育の現場には今以上に人的リソースが必要となる。だから官民一体でそこにリソースを割り振れるように仕組みから変えていく必要があるだろう。
また、個々人の違いを受け入れ、尊重し合えるよう、文化も変えていかないといけない。
そうすれば、日本も精神的に自立した新社会人をたくさん排出できる国に生まれ変わるだろう。
知らんけど。