死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

人間が成長した方がいい理由

昨日、会社主催の飲み会があり久しぶりにしっかり参加した。社内で開催される立食形式のラフな会だ。

 

うちの会社は平均年齢が比較的若い。個人的には若い方たちと仲良く話せるおじさんになりたいが、話し相手は誰でもいいとは思っていない。

 

自分勝手かもしれないが、やっぱり話が合う若い方がいいな。。

 

私と話が合う人を簡単に言うと「深い話を楽しめる人」だ。もうこの時点で大きく間違っているのだろう。そもそもこの会の目的は懇親だ。これまで話したこともないおじさんといきなり深い話をすることを求めている人などいないのだから。

 

こちらから若い方たちに声をかける勇気もなく、結局、副社長や部長陣など、同じ世代の人とそれぞれの家庭事情や育児事情などをワイワイと話していた。

 

当然飲みの場なので、そこまで話は深くならないが、いろんな家庭があるので勉強になる上、会の目的通り、仲間意識の強まる良い時間にはなっていた。

 

会の終盤、副社長とふたりで立ったまま話していたところ、近くで椅子に座りながら3人で話していた若い方たちのひとり、この会の幹事が声をかけてくれた。

 

彼は比較的社歴も長くシニア層にも慣れている。この会は副社長と彼が連携して実現している。私も比較的遠慮なく話せる後輩のひとりだ。

 

他の2人は社歴が浅い。おそらく20代。私はほとんど話したことがない。私たちは促されるように椅子に座り、彼らと話す機会を得た。

 

こうでもしてくれないとその機会を作れない自分にはガッカリだが、気さくでワイワイな空気を作るのが上手な副社長にも助けられいろいろ話せた。

 

そして、その内のひとりが入社4年目の男性で話が合うタイプであることがわかりとても嬉しくなった。

 

なんと、その彼はプロを目指してイギリスでサッカー選手をやっていたというのだ。私と同じように、一般的な社会人の道から外れている分、自分でいろいろ考え、答えを出してきた人間だから話が合うのだろう。

 

私「スポーツをガチでやってる人の中には、自己肯定感の高い人が割と多いよね。ガッツもあるし、だから採用する時はそういう方を取りたいですね」

 

副社長「そうだね」

 

彼「(少し離れたところにいる同僚を指差し)あそこにいる彼は野球でプロ目指してたじゃないですか。あの髪型は自己肯定感高くないと出来ないですよね」

 

一同「確かに!爆笑」

 

私「あ、それで言うと、私は美術大学卒なんですけど、美大卒も自己肯定感高い人多いから採用した方がいいです」

 

彼と副社長「なるほど」

 

私「けど、そんな人が応募してくることは少ないんですかね?」

 

副社長「うん、ほとんどいないかな〜」

 

私「やっぱりそうですよね」

 

そんな話をしていたところ、どんな話の流れだったか、彼がこんな疑問を投げかけてきた。

 

彼「会社の成功って、何ですかね。個人的には成功というものを経験したことがないんですよね。だから、会社でみんなで成功するって難しいなと。ありますか?成功した経験」

 

キタコレ。深い。

 

私「深いね。私も実は成功した経験がないんですよ。で、それを自分の手で掴み取りたいと思って、今になってテニスをガチでやってたりします。具体的には、県大会の年齢別で優勝するのが目標。それが達成できたらそれは成功かなと」

 

彼「なるほど。それで言うと、会社の成功は、売上目標の達成ということになるんですかね」

 

副社長「ただ、会社の場合は、その目標は毎年更新されるよね。だからその成功は、通過点でもあるね」

 

彼「そうですよね。それはなんか、その内みんな疲弊するんじゃないかなとか…」

 

私「確かに。ビジネスにゴールはないですよね。売上目標の設定とそれに向けた活動が永遠と繰り返される。それはそういうものと理解する必要がありそう。あ!わかりました。永遠と繰り返されるその過程である『今』をみんなが楽しめている状態を持続できていること、それが会社の成功ですかね」

 

彼「なるほど」

 

副社長「宮田さん良いこと言ったね」

 

私「ですね」

 

一同「笑」

 

ちょうどこんな結論に至った頃、会はお開きとなった。

 

後日、シャワーを浴びながらこのことを思い出していた時、ふと、次の疑問が湧いた。

 

「ん?会社は、本当に毎年売上を成長させないといけないのだろうか?収支がマイナスにならなければ持続可能なはずだよな。本当に成長は必須なのか?」

 

そして、それについて考えていたらひとつの答えに辿り着いて「そうかッ!」となったので、今回はそれについて書き残しておく。過去一長い前置きとなったがここからが本題だ。

 

なぜ、会社は毎年売上を成長させないといけないのだろうか?

 

AさんとBさんとCさん、3人の会社があったとする。3人の平均年収は800万円で、事務所を持たず、経費や税金などがもろもろ年間1600万円だったとする。すると会社の支出は年間4000万円だ。毎年4000万円売り上げればまた翌年同じようにビジネスを継続し、3人も同じように生きていける。

 

成長は必須ではないのではないか?

 

いや、違う。年々3人は衰えていくのに世の中は、社会のニーズは、ものすごい勢いで変化しているのだ。

 

社員の生活を守り続けるためには、会社の若さを維持し、社会の変化に適応し続けなくてはいけない。

 

会社も動物と同じで、生き続けるためには進化し続けないといけないのだ。

 

そのためには、今年の収支をプラマイゼロにするだけでは不十分、進化を続けるための潤沢な投資予算が必要なのだ。そのためには、若い人材も招き入れないといけない。

 

だから、日銭を稼いでいるだけではあっという間に時代に飲まれてしまう。ペイラインを大きく超え、前年より売上を成長させないといけない理由はそこにある。

 

成長は目的ではない。長く生き続けることが目的で、成長はそのための手段なんだ。

 

あッ!これは!

 

人間が成長した方がいい理由も同じではないか?!

 

ひとりの人間という単位で見ても、人類という単位で見てもこれは同じだ。

 

ひとりの人間が長く生きるためには、また、人類が長く生き続けるためには、成長が不可欠だ。

 

人間の成長とは、例えば、新しい知識を取り込むということだ。挑戦を続けるということだ。新しい知識を取り込まないということは、挑戦をやめるということは、死に近づくいていく行為と同じだ。

 

長く生きたければ成長は必須。進化は必須。これは、自然界の原理原則だ。

 

逆に言うと、長く生き続ける必要がない企業や人間は、成長しなくていい。

 

しかし、長く生き続ける必要がない企業というのは存在しないだろう。社員の生活を守ることが経営者のミッションのひとつだからだ。

 

ただ、「自分は長く生きる必要がない」と考える人間はいる。それは個人の自由だ。

 

つまり、種を守るという意味では、人間は社会全体で見て成長し続けるべきと言える。しかし、人間個人に対しては「成長した方がいい」「成長すべきだ」とは言い切れない。それは、個人の価値観で異なる。

 

それを踏まえて、私はこう考える。

 

妻のために、自分のために、そして何より、私のことを心から愛してくれている息子のために、私は長く生きたい。だから、成長し続ける。そして、自力で稼ぐ力を死ぬまで持ち続ける。

 

自分以外に大切な誰かが生きている限りは、長く生きた方がいい。だからそういう人は、成長し続けた方がいい。