死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

感動を人生の評価基準にする

日常的に感動し、感動を与えられる人間になる。もちろん、仕事でも、趣味でも。

 

結構、これまでもそれに近い意識が常にあったけど、次の本を読んで、そして年が明けて、明確にそうあろうと決意したので言語化してみる。

 

 

この本はベストセラー本とかではない。

 

人事をやっている妻がたまたま見かけて、帯にある「芸術を学んだ人を会社に入れなさい」に惹かれ手に取り、少し読んでみたところ「旦那が好きそうだ」と思ったらしく買ってきてくれた。

 

妻の読み通り、私の大好物だった。とても読みやすく、量も多くないので数日で読了した。

 

この本の著者は武蔵野美術大学を卒業した画家ということもあり、書かれていることの多くは自分が悟ってきたことに近く、また、私の知らない、彼が良しとするフランス人の価値観にも共感することが多かった。

 

実は私は、私も両親も武蔵美卒、弟は多摩美卒という美大一家の長男だ。ちなみに妹は若い頃ダイバーになり今は家族と沖縄に住んでいたりする。

 

最近、「もしアマチュアテニス選手活動に飽きたら、次に挑戦するのは画家だな」とぼんやり考えていた。

 

サラリーマンだけどガチの画家。とても魅力を感じている。

 

なのでこの本は「画家活動を始めてからの人生の参考にしよう」と思っていた。

 

しかし、書いてあることは画家に限らない普遍的なことも少なくなく、読み進めるうちに「今の生活にも活かせることがあるはずだ」と思いはじめていた。

 

そんな中、一番心に刺さったのが174ページの以下だ。

 

感動できるものは、世界に通じる

これからの時代は、本物しか生き延びられないと私は考えている。では、本物とは何かといえば、人を感動させられるもの、人を幸せにできるものである。

 

このブログでも以前「指導者を選ぶ基準は情熱の有無」と書いたが、それはこれとほぼ同じことだ。

 

自分は副業でテニスコーチをしているが、その時はまさに「どれだけ生徒さんたちの心に響くレッスンを提供できたか」を常に考えている。

 

マチュアテニス選手としては、練習の時も試合の時も、周りが引くほどに情熱的な時も少なくない。

 

これまでは「情熱」というキーワードだったが、これを読み、これからは「感動」というキーワードでも考えてみることにしようと思ったのだ。

 

そして、これまではテニスの時に一番それが発揮されていたが、今後は仕事でも日常でも、テニスの時と同じレベルでそれを発揮していこうと思う。もちろん、人を不快にはしない程度に。

 

そして、日常的に自分を問う。

 

感動する体験を掴みに行っているか?
感動されるほどの活動ができているか?