死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

年頃の女子トークで鼻からコーヒーが出そうになった

昨日、行きつけのカフェで仕事をしていた時のことだ。

 

ふたりの少女が私の左隣の席に座った。ひとりは私服だが、もうひとりは可愛らしく袴を着飾っており、すぐに小学校の卒業式の後とわかった。

 

その日は、公立の小学校の卒業式が開催されていることを私は知っていたのだ。ちなみに、息子は国立の学校ということもありその10日ほど前に卒業している。

 

息子と同い年だというのに、女子はふたりでカフェを楽しむのか。結構いい値段のするカフェに子供の頃からふたりでお茶をしに行くなんて、とても良いではないか。

 

感心しつつ、すぐに仕事に戻った。しかし、その集中は長くは続かなかった。

 

少し経ってから、私服の子がこう言ったのだ。

 

私服「宮田[息子の下の名前]」

 

ん?!

 

唐突に息子のフルネームが出てきて私の左耳は一気にダンボになった。

 

この子、息子の知り合いか!?そうか、私服の理由は、息子と同じ学校だからだ。このふたりは学校が違うけど同い年なんだ。

 

それを聞いて、袴の子はこう切り返した。

 

袴「は?誰だよそいつ。顔も覚えてねー」

 

おいおい随分と汚い言葉使いだなぁと思いつつ、学校が違うわけなので言っていることは理解できた。このふたりは幼稚園か保育園が同じで、そこにいた共通の知り合いの男の子の話しだと思ったのだろう。

 

すると、私服の子がこう言った。

 

私服「ねえねえ、聞いて私の黒歴史。私ね、一年の時に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宮田に告白したの」

 

なんだとッ?!

 

お、おお。よいではないか。この子は、息子のことが好きで、告白までした。素晴らしいではないか。ん、で、そのお父様は今、君の顔が気になっておられる。ん、ぐ、み、見れん…ッ!

 

もう仕事どころではない。

 

ちなみに、その時の袴の子のリアクションは無言だ。知らない子の話をされてるのだから仕方ない。それでも私服の子は息子の話を続けた。

 

私服「今ね、宮田、足を骨折してるんだよ」

 

袴「へ〜、ざまぁ笑」

 

なんだと?やっぱり君はお口が悪いね。いやいや、そんなことより、君も息子のことを知っておられるのかね??

 

それから長い時間、ふたりの間には沈黙の時間が流れた。いや、5分もなかったのかもしれない。そして、袴の子が驚きの言葉を発したのだ。

 

袴「あぁ、宮田ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私も好きだった」

 

お前もかいッ!!

 

危ない。口に含んでいたコーヒーが鼻から出そうになったではないか。

 

そうかそうか、あの「顔も覚えてねー」も「ざまぁ」も照れ隠しだったのか。私服の子も初めから共通の知り合いである息子の話をしていたのだ。

 

しかし、この展開は私服の子にとっては想定外だっただろう。ふたりの間には、再び沈黙の時間が流れた。

 

が、いつの間にかまたたわいのない別の話が始まり、最後も仲良く帰って行った。

 

お陰で仕事が中断したが、息子はどうやらモテているらしい。やるじゃないか。

 

この日の夜は、この話で家族で大盛り上がりとなった。これもふたりのお陰か。ありがとう。

なぜテニスに夢中なのか

2日前、家族との会話で「ほうッ!?」となったので書きながら頭の中を整理する。

 

私が以下のようなことを妻と息子に話していた時のことだ。

 

  • 内発的動機のもと生きることが重要
  • その自分にとって意味のある何かに誰よりも夢中になり、追求し続けた先に新たな価値が生まれる
  • その何かは他の多くの他人にとっては意味のないものであった方が新たな価値は生み出しやすい
  • いつの時代も新たな価値を生み出す人はぶっ飛んだ人
  • 最近だとチームラボの猪子さんとかはまさにそのひとりだし、彼自身もそう話してる
  • けど俺が夢中になれたものは残念ながらテニスだった
  • テニスのようにプレーヤーが億単位で存在し、歴史もあり、既に成熟した世界では、新たな価値を生み出す難易度は上がる
  • だから、誰もやってないようなことに夢中になった方がいいかもしれない
  • けど、内発的動機は自分に正直でもあることが大前提だから、余計なことは考えずに、自分の興味に正直に生きればいいのだと思う

 

テニスが残念なものという意味ではない。新たな価値を生み出しやすい世界ではないという意味で残念ということだ。

 

テニスで大した結果を出せていない言い訳のようにも聞こえるが、妻はこの話を理解した上でこう私に言ったのだ。

 

「でも、なぜテニスにそこまで夢中になれるのか、それをもっと突き詰めた時に見えてくるテニス以外の何かがあるかもしれないよね?」

 

ほうッ!?

 

妻が言わんとしていることはわかった。しかし、これを書いている今もその答えは出ていない。

 

実は妻も、中学から大学までテニスをしており、私なんかよりよっぽどガチ勢で、大学時代にはJOP大会のダブルスで優勝もしている。

 

そして、今はまったくテニスはやっておらず、未練もないのだが、その理由をこう話していたのだ。

 

「私はテニスが好きなんじゃなくて、大会に出て本気になるのが好きだったの。だから当時も大会にエントリーしないとテニスしてても面白くなかった。逆に、それができればテニスでなくてもいいの。今は仕事がそれ」

 

彼女にとっては育児や息子の中学受験もそれなのだ。

 

では、テニス歴29年の私は、なぜこんなにも長い間、テニスに夢中なのだろうか?

 

その答えは、昔からテニスそのものが好きだったから。なのか?

 

40代を過ぎた2020年に本気の挑戦を始めたのだが、中学3年の冬にテニスを始めてからそれまではずっとエンジョイ勢だった。

 

妻とはまったく異なる。妻は始めてすぐにガチ勢になっていた。

 

一方私は、試合よりもボールを打っているのが楽しいと感じているタイプだ。それでもテニスにおける勝負を楽しいと感じることもできていた。だからそれなりに上手くなった。

 

そのレベルは、大学時代にアルバイトで自分の担当するクラスを持てるほどにテニスコーチができるほどだ。

 

しかし、ガチで「勝ちたい。いや、勝つ!」といった熱い気持ちを持って努力を続けるようなことはずっとしてこなかった。

 

だから逆に、ガチの世界を知った今は、自分も目標を立てて、それに向かって本気の努力をして、その目標を達成するということを一度は成し遂げたいと考え、これまで以上に夢中になっているし、これまでで一番充実感を得られている。

 

ん?

 

これまで以上に夢中になっている?今が一番充実している?

 

冒頭の話で、内発的動機で何かに夢中になって生きることが重要と書いていたではないか。

 

確かに、コーチをそつなくこなせるくらいやっていた20代の頃より、今の方が強いとさえ言える。目標はまだ達成できていないものの、成長を実感しながら少しずつ結果も出せているので充実しているのは間違いない。

 

つまり、テニスだけで言ったら、ここ数年が一番良い状態だ。

 

そして、改めて考えてみると、今の私は以前の妻のように、「テニスが好き」よりも「全力で生きている自分が好き」の方が強くなっているのではないか?!

 

この点に限ると、学生時代の妻にようやく追いついたということか?!

 

そう言えば、以前の投稿「新しい学校のリーダーズ沼からの「!」」にも書いていた。私は、今を全力で、必死で生きたいのだ。

 

2日前の投稿には、試合の予定がないと気持ちが入らず悪循環になりそうとも書いていたではないか。

 

今は「テニスをしたい」のではなく「全力で生きたいから目標を達成するまではテニスをやると決めた」なのだ。

 

もうひとつ心当たりがある。

 

この「全力で生きている自分」で心が満たされて初めて、人は自分以外の誰かのためになれるということに、私は気づきはじめている。

 

だから、やり切って狙った結果まで出すという経験にこだわりながら生きる。

フィジカルを再度ゆっくりと強化していく

最近、テニスの投稿が減っている。以前の投稿に書いた通り、3月はオフにすると決めたからというのはある。

 

それでも、テニスはしている。

 

ここでいうオフとは、公式戦の予定を入れず、練習でも勝ちに行くことを意識しすぎないといったイメージだ。

 

そうしてみたところ、気持ちが入らず、テニスの質、練習の質が落ちることがわかった。あまりよいとは言えない。悪循環に陥りそうだ。

 

その上、今年から仕事で自宅勤務できるのが週1程度、かつ、客先またはオフィスで仕事しないといけない時間が実質増えたため、平日にテニスをする機会を作るのがさらに難しくなった。仕事に夢中になれているのもある。

 

そんなわけで、以前より確実に運動量が減っている。その結果、筋肉量も少し減り、動きのキレが鈍っている自覚もある。

 

だから、1週間の生活リズムを再構築して、運動量を増やし、フィジカルを強化することを決意した。

 

特に、下半身だ。

 

ただし、怪我や疲労の蓄積はNGなため、焦らずゆっくりとだ。

 

そして、昨日の夜、久しぶりにランニングと素振りによるイメトレを兼ねたフットワークトレーニングを実施した。

 

今はふくらはぎが筋肉痛だ。翌朝に筋肉痛が出るなら健全か。

 

昨日は、まずは動きのキレを取り戻すべきと考え、テニスコート上の動きから逆算し、次のトレーニングを見出し、試してみた。

 

「坂道で股関節と姿勢を意識しながら『ラン→右サイドステップ→バックラン→左サイドステップ』を4歩程度ずつじっくりと駆け上がる」

 

なかなか良い。これを1週間の生活リズムのどこかに組み込むか。以下とする。

 

  • 曜|仕事|選手活動
  • 月|出社|オフ
  • 火|出社|朝テニス
  • 水|在宅|夜コーチ業
  • 木|出社|オフ
  • 金|出社|朝ラントレ ← ここ
  • 土|休日|テニス or ラントレ
  • 日|休日|テニス or ラントレ

 

ちなみに、テニスは原則サシ練、1回2時間までとする。

 

昨年までは体力と相談しながら毎週ではないものの木曜日か金曜日の夜にもテニスをしていたが、それができなくなった分、金曜日の朝ラントレを組み込む。

 

テニスの頻度を取り戻すのは早くても9月以降だ。

 

それまでは、技術向上よりフィジカル強化を重視する。そしてまた少しずつ勝ちにこだわっていく。

作品名「ついらく」

トイレに作った、ささやかなアート。

 

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この行為を「日常アート」と名付けよう。趣味にいいかも。またなんか作ったらここに残す。

 

アートを身近に、生きる。

全身から繰り出されるトップスピン

今日、7年前に現役を退いたという元単複インカレプレーヤーの29才男性とテニスをした。

 

と言っても、5年のブランクがあり、今は子供が小さく月1くらいしかボールを打っていないという。

 

それでも、身体が覚えているのだろう、自分の周りにはあまりいないスピンのしっかりかかった若いボールだ。

 

彼以外はベテランプレーヤーで1面4人。固定ペアでミックスダブルスだったのだが、46, 64, 14となんとか楽しみながら形にすることはできた。いや、もちろん彼は常に余裕を持って相手してくれていたが。

 

さて、彼のストロークがとても勉強になったので書いておく。

 

やはり生で見るだけでなく、実際にボールを受けると違いがよくわかる。スピンの効いた若いボールだ。

 

「その勢いでそんなに高いところを通しても入るのか」

 

そして、思った。

 

「その弾道、羨ましい」

 

本当にそう思った。

 

「そんな弾道なら、入る気しかしないじゃん?!」

 

それからもうひとつ印象に残ったのが、そのスピンを打つ彼の身体の使い方だ。

 

初めは手元の動きに目がいった。スピンに適したラケットワークをしている。

 

しかし、それ以上に、全身でスピンを打っている感じだったのだ。明らかに手打ちではない。フォアもバックもだ。

 

体幹で打っていた」とも表現できるかもしれない。

 

身体の軸の傾きでトップスピンになるスイング軌道を生み出しているようにも見えた。あとは下半身から迷わずしっかり振り切る感じだ。

 

私はグリップの薄いフラットドライバーなのでボールを捉えている瞬間は胸が前を向いている。

 

しかし彼はトップスピナーのため胸が上を向いているように見えた。

 

もちろん、私と彼とではグリップも異なるためまったく同じにはならないが、私は彼のそのイメージを取り入れて打ち合っていた。

 

というのも、フラットドライバーであることを変えるつもりはないが、弾道が低いことはリスクでしかなく、もう少し平均弾道を上げたいと考えていたからだ。

 

そして、彼のイメージを取り入れた結果、少し弾道を上げられる気がした。かつ、いつもより力強く迷わずに振り抜きながら打ち合える気がした。

 

もちろん、相手が変われば同じようにはいかないのがテニスだが。

 

前回書いた通り、今後は打ち方を考えながらテニスすることは減らすが、彼と打ち合った時のこの感覚は大切にしていこうと思う。

 

あぁ、テニスしたい。