死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

なぜテニスに夢中なのか

2日前、家族との会話で「ほうッ!?」となったので書きながら頭の中を整理する。

 

私が以下のようなことを妻と息子に話していた時のことだ。

 

  • 内発的動機のもと生きることが重要
  • その自分にとって意味のある何かに誰よりも夢中になり、追求し続けた先に新たな価値が生まれる
  • その何かは他の多くの他人にとっては意味のないものであった方が新たな価値は生み出しやすい
  • いつの時代も新たな価値を生み出す人はぶっ飛んだ人
  • 最近だとチームラボの猪子さんとかはまさにそのひとりだし、彼自身もそう話してる
  • けど俺が夢中になれたものは残念ながらテニスだった
  • テニスのようにプレーヤーが億単位で存在し、歴史もあり、既に成熟した世界では、新たな価値を生み出す難易度は上がる
  • だから、誰もやってないようなことに夢中になった方がいいかもしれない
  • けど、内発的動機は自分に正直でもあることが大前提だから、余計なことは考えずに、自分の興味に正直に生きればいいのだと思う

 

テニスが残念なものという意味ではない。新たな価値を生み出しやすい世界ではないという意味で残念ということだ。

 

テニスで大した結果を出せていない言い訳のようにも聞こえるが、妻はこの話を理解した上でこう私に言ったのだ。

 

「でも、なぜテニスにそこまで夢中になれるのか、それをもっと突き詰めた時に見えてくるテニス以外の何かがあるかもしれないよね?」

 

ほうッ!?

 

妻が言わんとしていることはわかった。しかし、これを書いている今もその答えは出ていない。

 

実は妻も、中学から大学までテニスをしており、私なんかよりよっぽどガチ勢で、大学時代にはJOP大会のダブルスで優勝もしている。

 

そして、今はまったくテニスはやっておらず、未練もないのだが、その理由をこう話していたのだ。

 

「私はテニスが好きなんじゃなくて、大会に出て本気になるのが好きだったの。だから当時も大会にエントリーしないとテニスしてても面白くなかった。逆に、それができればテニスでなくてもいいの。今は仕事がそれ」

 

彼女にとっては育児や息子の中学受験もそれなのだ。

 

では、テニス歴29年の私は、なぜこんなにも長い間、テニスに夢中なのだろうか?

 

その答えは、昔からテニスそのものが好きだったから。なのか?

 

40代を過ぎた2020年に本気の挑戦を始めたのだが、中学3年の冬にテニスを始めてからそれまではずっとエンジョイ勢だった。

 

妻とはまったく異なる。妻は始めてすぐにガチ勢になっていた。

 

一方私は、試合よりもボールを打っているのが楽しいと感じているタイプだ。それでもテニスにおける勝負を楽しいと感じることもできていた。だからそれなりに上手くなった。

 

そのレベルは、大学時代にアルバイトで自分の担当するクラスを持てるほどにテニスコーチができるほどだ。

 

しかし、ガチで「勝ちたい。いや、勝つ!」といった熱い気持ちを持って努力を続けるようなことはずっとしてこなかった。

 

だから逆に、ガチの世界を知った今は、自分も目標を立てて、それに向かって本気の努力をして、その目標を達成するということを一度は成し遂げたいと考え、これまで以上に夢中になっているし、これまでで一番充実感を得られている。

 

ん?

 

これまで以上に夢中になっている?今が一番充実している?

 

冒頭の話で、内発的動機で何かに夢中になって生きることが重要と書いていたではないか。

 

確かに、コーチをそつなくこなせるくらいやっていた20代の頃より、今の方が強いとさえ言える。目標はまだ達成できていないものの、成長を実感しながら少しずつ結果も出せているので充実しているのは間違いない。

 

つまり、テニスだけで言ったら、ここ数年が一番良い状態だ。

 

そして、改めて考えてみると、今の私は以前の妻のように、「テニスが好き」よりも「全力で生きている自分が好き」の方が強くなっているのではないか?!

 

この点に限ると、学生時代の妻にようやく追いついたということか?!

 

そう言えば、以前の投稿「新しい学校のリーダーズ沼からの「!」」にも書いていた。私は、今を全力で、必死で生きたいのだ。

 

2日前の投稿には、試合の予定がないと気持ちが入らず悪循環になりそうとも書いていたではないか。

 

今は「テニスをしたい」のではなく「全力で生きたいから目標を達成するまではテニスをやると決めた」なのだ。

 

もうひとつ心当たりがある。

 

この「全力で生きている自分」で心が満たされて初めて、人は自分以外の誰かのためになれるということに、私は気づきはじめている。

 

だから、やり切って狙った結果まで出すという経験にこだわりながら生きる。