死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

想像力の欠落は致命傷になりえる

これは今日、私がiPhoneのメッセージアプリで息子に届けた言葉だ。

 

「想像力の欠落は致命傷になりえる」

 

これを息子に伝えようという想いに至った背景は以下だった。

 

今日はウエイトトレーニングをするためにジムに行くことにしていた。ジムに向かう途中、電車を待ちながら、以前ジムで起きた事故を思い出していた。

 

いや、大した事故ではない。ひとりが軽い怪我をしたかもしれない程度の小さな事故だ。

 

その日、どこかのサッカー部の高校生たちが6,7人くらいのグループでジムを利用していた。

 

多くの利用者は1人でジムに来ているため、通常、ジム内は静かだが、こういったグループでの利用者がいる時は途端に騒がしくなる。

 

ひとつの種目をみんなで順番にやりながら力比べが始まったりするからだ。

 

その時もそうなり、運営スタッフに周りの利用者に配慮するよう軽く注意されていたが、大はしゃぎというほどではなかったため揉め事のようなことが起きることはなかった。

 

しかし、その事故は起きた。

 

彼らはパワーラックでバーベルスクワットをやっていた。両端に重りを付けたバーを肩に担いでスクワットをするあれだ。

 

徐々に重りを増やしていき、それは100kg近くに達していた。それにその中のひとりが挑戦している時だ。

 

突然、「ドゴン!ドゴンッ!」という大きな音がジム内に響いた。

 

見るとバーベルスクワット中にバーが傾き、片方に付いていた合計20kg以上の複数の重りが床に落ちたことがわかった。

 

挑戦中の彼は慌ててバランスを保とうと踏ん張り、見ていた周りの仲間たちも慌ててバーを押さえて事なきを得た。

 

いや、痩せ我慢をしていたのだろう、おそらく挑戦していた彼は腰か何かを痛めていたはずだ。それ以降、彼は「俺はもういい」とトレーニングを控えていた。

 

この事故が起きた原因は、彼らが重りを固定するストッパーを使っていなかったからだった。

 

さて、この一連の出来事を見て、何が問題だったのか。そこには、いろんな意見があるだろう。

 

例えば、ストッパーを使っていなかったことは周りのベテラン利用者たちは気づいていたはずだ。だから注意していればこの事故は起きなかったという意見。

 

あるいは、運営スタッフがそのことに気づいて指摘するべきだったという意見もあるかもしれない。

 

はたまた、初めての利用者にはちゃんと使い方を教えるというオペレーションがジムの運営側に存在しなかったのがいけないという意見もあるだろう。

 

どれも正解だと思う。

 

しかし、私は違うことを考えていた。

 

「想像力が乏しすぎるのではないか?今の日本の教育では、想像力が育たないのではないか?」

 

国家レベルでこう考え、この問題の解決に向かえた方が、日本の将来はおそらく明るいだろう。そう考えていた。

 

加えて、息子のことを考えていた。これまでこのブログでも自慢してきた通り、息子は文武両道でとても優れている。特に学力の高さは本物で、それは東大クラスであることを証明している。

 

そのため、私は息子について「もう何も心配することはない」と自分に言い聞かせてきた。親の下手な一言が子供の可能性を摘んでしまうことを知っているからだ。

 

しかし、「想像力」については、まだまだ弱いのではなかろうかと少し心配している。息子と話していてそう感じることがあるからだ。

 

学力が高いということは知識量が多いということでもあるが、その知識は想像力がないと活かせない。つまり、息子のそれは今のままでは宝の持ち腐れになり得る。

 

「あ、そういうことか。なら、こういうことでもあるよね」という頭の良さ、1つのインプットからこれまでの経験と知識を掛け合わせて10学ぶ頭の良さ、俗に言う「地頭の良さ」も、想像力がないと生まれない。

 

地頭がいい人は教えられなくても自らの力でどんどん成長していけるが、それには想像力が不可欠だ。ここで言う想像力には、過去の経験と知識を結びつける力も含むものと考えてもらいたい。

 

息子はまだまだ教えられたことの中で生きているのではないか?その範囲の外に、自らの(好奇心と)想像力で飛び出していってほしい。私はそう思っている。

 

もちろん、探究心も不可欠だが、おそらく息子にはそれはある。

 

いや、想像力がまったくないという訳ではない、まだ弱いだけで、何かをきっかけにこれから化ける可能性は十分あるし、それを信じている。だから、余計なことは言わない。

 

今は冒頭のメッセージだけで十分だ。

 

「あ、親父の言っていたあれは、そういうことか」といつかなればそれでいい。

 

さて、ジムの学生たちは、想像できなかったのだろうか?

 

6,7人もいればその中の誰かは、このような公共の場所で万が一、20kg以上もするものがこの高さから落ちたら、周りの人たちにも迷惑がかかると思えるのではないだろうか?

 

また、そう思えば、隣のパワーラックの利用者がどのようにそのリスクを回避しているのか見て学び、自分たちもこのストッパーを使おうとするのではないだろうか?

 

残念ながら、誰一人そこには至らなかった。6,7人もいたのに。

 

これは、日本の教育の問題だと私は思う。

 

日本はなんでも先回りして教えすぎなのだ。だから、想像力が育たないのだ。周りの大人が先に未来のことを教えてしまうから、未来を想像する習慣がないから、事故る可能性にも気付けない。

 

当然、今までにない新たな価値を生み出せる、イノベーションを起こせる人も限られる。相手の立場になって想いを巡らすこと、想像することも少ないため、自分以外の誰かを幸せにすることのできる人も限られる。

 

私は武蔵野美術大学を卒業し、当時、想像力を駆使して価値創造する取り組みを腐るほどやってきたからわかる。

 

学力も大事だ。経験も大事だ。しかし、それだけでは足りない。

 

想像力が、今の日本には必要だ。