死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

運動連鎖を意識したらいろいろ解決した

今日の朝練もいつも通りパートナーとマッチをした。

 

2月に迫る神奈川県選手権大会のルール、ファイナルセットスーパータイブレークのデュースありで。

 

いつも通り、見る能力をフル活用することに注力しながら試合に入れたので序盤は上々。1stセットを奪取できた。

 

スタートダッシュを切るのはもともと得意なのだが、問題は2ndセットからだ。

 

それでも、今日はこの問題を解消できた。

 

この時、1stセットの終盤でもうひとつ気づいて実践していたことがある。それが運動連鎖だ。

 

実は昨日の夜、Facebookに流れてきたギロン選手の練習動画を見て感動していた。それが次の動画だ。

 

 

見るとわかる通り、軸がまったくブレず(てか筋骨隆々すぎ!胴体太すぎ!)、腕の力ではなく運動連鎖で打っているのだ。

 

肩や腕の筋肉もスゴいが、肩から先はしなっていてそれほど力が入っているようには見えない。

 

また、次のズべレフの動画でも同じ感動を覚えたのを思い出した。こっちの方がわかりやすいかもしれない。

 

 

カメラと選手との距離がこれくらい近いときに初めて感じ取れる運動連鎖の美しさよ。

 

運動連鎖って何?という人にわかりやすい模型のアニメーションを昔見つけたのだが、ググっても見つからなかった。

 

要は、手打ちではないということだ。

 

腹圧を高めて軸を安定させ、地面から力を得るように下半身を踏ん張って腰を回しそれが止まる、すると自然と肩が回りそれも止まる、すると膝が出てきて、グリップが出てきて、最後にラケットヘッドが出てくる。

 

つまり、手ではなく、腹圧と下半身で打つのだ。

 

私の場合、「ラケットが最後に出てくる感覚」で打つと運動連鎖が機能し、肩から先の力みを解消することができる。

 

今日はこれをしたことで、ミスの原因のひとつである力みがなくなり、安定したショットを打ち続けることができた。

 

しかも、力まない分、疲れづらい。これが、体力不足からくる2ndセット以降の踏ん張りが効かなくなってミスが増える問題も軽減してくれた。

 

しかも、苦手意識のあるサーブも同じ感覚で安定させることができた。

 

今回の経験で、私は、次の手順を踏めば、試合におけるパフォーマンスをより最大化し、最善の結果を導けると言える。

 

  1. プレーを軌道に乗せるために
    1. 見る能力に集中する
    2. 運動連鎖を確認する
  2. 相手を攻略するために
    1. 自分の基本戦術をぶつける
    2. 相手の得意を封じる

 

上から順に重要なため、この順番は絶対に守らなくてはいけない。厳密には、1-1から2-1まではほぼ同時に実行するイメージだ。

 

また、相手にもよるが、遅くても4ゲーム目までにプレーを軌道に乗せることを目指せれば取りこぼしをなくせると考えている。

 

これまで、試合中に打ち方(=フォーム)のことは考えないと誓ってきた。しかし、今回のポイントは、初めよ段階で確認した方が今の自分は良さそうだ。

 

次回、再現できるかが楽しみだ。

いつまでも動ける

この本を読んだ。

 

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本屋でこの表紙を見て即買いだった。

 

この表紙に書かれている「ジェロントロジー」という言葉以外のすべての言葉が、今自分が生きながら意識していることだったからだ。

 

しかも、表紙をめくるとこうある。

 

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もう、買わないわけにはいかない。

 

 

このブログで私は何度も「今の自分のテニスは自分史上最強」と書いてきた。

そのうち「最強」とは言えなくなるとは思う。

 

それでも、いつまでも、自分史上「最高」のテニスプレーヤーでありたい。

 

そのためには、この表紙に書いてある次のキーワードを常日頃から意識し、習慣を変える必要がある。

 

  • いつまでも動ける
  • ムリなく鍛える
  • 正しく整える
  • 食事
  • 運動
  • 睡眠
  • コミュニティ

 

「ジェロントロジー」というのは、日本語にすると「老年学」で、年齢を重ねて生じる変化や社会づくりを研究する学問らしい。

 

難しい話になりそうだからこれについてはここでやめておく。

 

それよりも、ここではダンサーのSAMさんがそれを学んだことで得たある考え方がとても新鮮で、私の経験からも「確かにそういう見方もできるな」と思ったのでそれを紹介したい。

 

それは本書の184ページにあった以下だ。

 

超高齢社会も悪くない

(中略)体を鍛え、心を育み、いつまでも動き続ける。高齢だからといって、ただ待っているのではなく、一人ひとりが社会を支える一員として、自分に何ができるのか考える。

そんな人が増えていけば、たとえ高齢化がさらに進んだとしても、何も恐れることはないでしょう。

 

確かに。日本がそんな社会に変わっていったらそれはとても素敵なことだ。

 

そう思った。

 

私は、自分に限っては何歳になっても、その年代の中でトップクラスに動ける体を維持していきたいと考えている。

 

だから、2年前の冬、41歳の11月に「神奈川県テニス選手権年齢別優勝」という目標を掲げて本気の活動を始めてからは、自分自身が年齢を重ねていくことに対する不安や恐怖はなくなった。

 

それだけではなく、この本にある通り、ムリなく正しく鍛えたことで、20代30代の自分よりも、40代の今の自分の方が強いと言い切れるほどになった。

 

もちろん、前述の通り、50代60代になる頃にはさすがに最強とは言えないかもしれない。それでも、SAMさん同様、最高とは言える可能性はある。

 

ただこれは、私自身の話だ。

 

一方、SAMさんは、社会全体で、みんなで、そうなれると考えている。

 

確かに、フェデラーイチロー、カズのように、スポーツにおける選手の寿命は明らかに伸びている。

 

こういったリーダーたちが増えれば、社会全体がそういった方向に向かうのは間違いない。

 

有名人ではないが、自分も身の回りの人たちに対してリーダーシップを発揮すれば、影響を受ける人は出てくるはずだ。

 

そうやって、日本全体が元気でポジティブなおじさんおばさん、おじいちゃんおばあちゃんで盛り上がっていければ、それは本当に素晴らしい社会だ。

 

日本が世界の他の国たちに先駆けて、新たな境地に到達できたら、それはとても誇らしいことだ。

 

自分もそこに貢献できるよう、死ぬまで運動を続け、体だけでなく、心と脳も鍛えていくことにする。

子供に罰を与えるサッカーや野球の監督はお馬鹿

チームを率いるリーダーがメンバーのミスに対してペナルティを課すのは愚の骨頂。

 

これに今日気づいたので書き留めておく。

 

今朝こんなことがあった。

 

今日は息子のサッカーの試合があり、集合場所まで息子を送り届けるのが私の任務となっていた。

 

息子とふたりで家から出かけることが少ないのでふたりともウキウキしながらバスに乗る。他愛のない話で盛り上がる。

 

すると、息子が突然言った。

 

息子「あ!やばい!青パン忘れた!」

 

青パンとは、試合用やユニフォームの青色の短パンのことだ。

 

サッカーチームは2色のユニフォームを持っている。今日の試合が青パンだったら息子はピンチということだ。

 

白パンは履いているが、青パンをカバンに入れた記憶がないらしい。

 

念のためバスを降りてからカバンの中を確認する。やっぱりない。

 

息子「終わった…」

 

私「どうして?」

 

息子「(監督が決めたルールで)忘れ物が発覚したらその後の2試合に出させてもらえないんだ…」

 

さっきまでのウキウキが嘘のように息子は超憂鬱モードに突入した。

 

その時、私の頭の中はいろいろと言いたいことでいっぱいだった。言いたかったことは主に次のふたつだ。

 

  • そのペナルティはナンセンスだ
  • 忘れ物をしたのは自分の責任だ

 

しかし、珍しくすべて飲み込むことができた。

 

この問題は、息子と監督との間の問題で、私の問題ではない。息子が自分でこの問題と向き合い、失敗から学べばいいことだ。

 

そう自分に言い聞かせながらグッと堪えた。バス停から集合場所までは歩いて5分くらいだろうか。

 

あとで、このブログを息子に読んでもらおうとは思っている。きっと息子も同じことを考えているのではないかと想像している。

 

ここからが、本題だ。

 

前述の通り、このペナルティを課す監督はお馬鹿というのが私の考えだ。

 

理由は簡単だ。

 

あるメンバーのミスを他のメンバーが補い合いながら、助け合いながら、チームのゴールに向かって突き進むのが良いチームだからだ。

 

ラグビー日本代表のスローガン「One Team」にもそんな意味が含まれているだろう。

 

親バカではなく、息子はこのチームの中心メンバーのひとりだ。欠けるとチームの総力は落ちる。

 

チームのゴールが勝利ならば、この息子のミスはみんなで補い、万全のメンバーで試合に臨むべきだ。

 

これが理解できない大人は、目的志向のできないお馬鹿としか言えない。

 

「チームの勝利よりも、子供たち一人ひとりの成長の方が大切だ」という綺麗事を言う大人もいるだろう。

 

しかし残念ながらそれもお馬鹿だ。

 

罰を与えるチームより、助け合うチームの方が子供たちは正しく成長するのは明らかだからだ。

 

ペナルティを与えるのが有効なシーンは、人命を守ることが目的の場合くらいだろう。

 

以下、余談。

 

同時に、息子は良い失敗経験をしたと思っている。

 

実は息子は自分の物の整理整頓ができない。そのため、物をよく失くし、忘れ物をすることも少なくない。

 

これに関して、私は何も言わない。

 

いつか必ずショックを受けるほどの失敗をするから、自業自得で痛い目にあったその時学べばいいと考えている。

 

というか、それ以外に真に学ぶ方法はないと考えている。

 

そして今日、そのチャンスが来たのだ。

 

試合が終わる頃、妻から連絡があった。

 

「試合会場に行ってくれているお友達のお母さんに確認したら、今日の試合は白パンだったからセーフだったみたい」

 

えぇーーッ!残念!!笑

感動を人生の評価基準にする

日常的に感動し、感動を与えられる人間になる。もちろん、仕事でも、趣味でも。

 

結構、これまでもそれに近い意識が常にあったけど、次の本を読んで、そして年が明けて、明確にそうあろうと決意したので言語化してみる。

 

 

この本はベストセラー本とかではない。

 

人事をやっている妻がたまたま見かけて、帯にある「芸術を学んだ人を会社に入れなさい」に惹かれ手に取り、少し読んでみたところ「旦那が好きそうだ」と思ったらしく買ってきてくれた。

 

妻の読み通り、私の大好物だった。とても読みやすく、量も多くないので数日で読了した。

 

この本の著者は武蔵野美術大学を卒業した画家ということもあり、書かれていることの多くは自分が悟ってきたことに近く、また、私の知らない、彼が良しとするフランス人の価値観にも共感することが多かった。

 

実は私は、私も両親も武蔵美卒、弟は多摩美卒という美大一家の長男だ。ちなみに妹は若い頃ダイバーになり今は家族と沖縄に住んでいたりする。

 

最近、「もしアマチュアテニス選手活動に飽きたら、次に挑戦するのは画家だな」とぼんやり考えていた。

 

サラリーマンだけどガチの画家。とても魅力を感じている。

 

なのでこの本は「画家活動を始めてからの人生の参考にしよう」と思っていた。

 

しかし、書いてあることは画家に限らない普遍的なことも少なくなく、読み進めるうちに「今の生活にも活かせることがあるはずだ」と思いはじめていた。

 

そんな中、一番心に刺さったのが174ページの以下だ。

 

感動できるものは、世界に通じる

これからの時代は、本物しか生き延びられないと私は考えている。では、本物とは何かといえば、人を感動させられるもの、人を幸せにできるものである。

 

このブログでも以前「指導者を選ぶ基準は情熱の有無」と書いたが、それはこれとほぼ同じことだ。

 

自分は副業でテニスコーチをしているが、その時はまさに「どれだけ生徒さんたちの心に響くレッスンを提供できたか」を常に考えている。

 

マチュアテニス選手としては、練習の時も試合の時も、周りが引くほどに情熱的な時も少なくない。

 

これまでは「情熱」というキーワードだったが、これを読み、これからは「感動」というキーワードでも考えてみることにしようと思ったのだ。

 

そして、これまではテニスの時に一番それが発揮されていたが、今後は仕事でも日常でも、テニスの時と同じレベルでそれを発揮していこうと思う。もちろん、人を不快にはしない程度に。

 

そして、日常的に自分を問う。

 

感動する体験を掴みに行っているか?
感動されるほどの活動ができているか?

打点の解像度をドゴォンと上げる

新しい世界観に気づき良さそうだったから書く。

 

仲間に誘われたから今日もテニスをした。これで年明け1月2日から4日連続のテニス。俺は幸せ者だ。持つべきものは友だ。

 

これまでの経験上、TwitterFacebookInstagramYouTubeを眺めている時間はほとんど無駄だ。LINEのテニス仲間からの誘いに答えている時間こそ幸せに直結してる。

 

LINEがリアルだ。

 

さて、今日はシングルスのサシ練。仲間の希望に応えマッチをした。しかも3セットマッチ。

 

なんだか久しぶりに本番さながらの試合勘を確認できて嬉しかった。結果もついてきたからなおさらだ。

 

とは言っても1stセットは散々だった。1-6。

 

最近注力しているサービスゲームの基本戦術とフラット&スライスサーブの打ち分けに取り組んでいた。

 

これが1stセットの敗因だ。自分は練習モードで試合をすると力を発揮できない。

 

正直に言うと、試合の時にもっとも重要なことを完全に忘れていた。なぜ人間はこんなに愚かな生き物なんだ。少しやらないだけで大切なことをすぐ忘れる。

 

自分にとって、試合でもっとも大切なことは「見る」だ。

 

それを思い出してからはミスを減らしていくことができた。

 

2ndセットは6-1、3rdセットは6-0。

 

(まぁ結果なんかどうでもいい。ここではそれを自慢したいわけではない。自慢したいのは、新たな世界観に気づけたことだ)

 

結果が示す通り、1stセットと2ndセット以降のパフォーマンスは雲泥の差だった。

 

集中するポイントが変わるだけで人はこんなにも変わるのだ。

 

ちなみに、試合後、そのテニス仲間から言われたことはもっともだった。

 

「1stセットの途中でそれに気づいて、いつものパフォーマンスに引き上げたいですよね」

 

まったくその通りだ。ワンセットまるまるひどいままというのは本番でやってはいけない。それをしていてはトーナメントを勝ち上がれない。

 

8ゲームマッチだったらなおさらだ。

 

話を戻す。

 

2ndセットからは見ることが足りていないことに気づいてそれを高めることでパフォーマンスを上げられた。

 

それにより、判断ミスを限りなくゼロに近づけられたのだ。

 

自分にとっては見る能力が想像以上に重要な要素であるという話はこれまでも書いてきた。

 

今回の新たな世界観というのは以下だ。

 

「相手と自分の打点の瞬間、ドゴォン、ドゴォンと瞬発的に解像度を上げる」

 

解像度を上げるとは、相手とボールとコートを見ることに集中するということだ。

 

相手と自分の打点の瞬間に見ることに集中し、時間を長く感じ取るのだ。

 

打点のタイミングだからそこにはリズムとテンポもある。それが「ドゴォン、ドゴォン」だ。

 

映画の表現のように、その瞬間瞬間が止まって見えるようなイメージ。ジョジョの奇妙な冒険の世界観。

 

試合中にこの見方ができるとフロー状態に入りやすいのかもしれない。

 

次回、再現できるかが楽しみでならない。