死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

相手を理解することが何よりも先立つ

これはテニスの話でもあり、社会の歩き方の話でもある。

 

自分以外に1人でも関わる人がいる場合、自分のやりたいことを主張しているだけでは、いつまで経ってもやりたいことはできない。

 

それが社会の真理だ。

 

まずは、相手のことを、関係者のことを理解しなくてはいけない。その上で「ならこうしよう」と未来のために思考し、実行できたときにはじめて、自分が望む方向にことを進められる可能性が生まれる。

 

テニスのシングルスに置き換えて言うなら、相手のプレーを無視して自分のやりたいプレーを闇雲にぶつけていても勝率は上げられないということだ。

 

もちろん、相手のレベルが段違いに低い時はそれでもいいし、相性の良い相手ならそれでもいいが、公式戦に出ればそのようなケースは稀となる。

 

トーナメントで優勝することを目標とするなら、さまざまなタイプの、自分と同じ程度かまたは自分より実績のある選手に勝たなくてはいけない。

 

「なるほど、こういうショットが打てるのか」

「こういう時はここに打ち返してくるのか」

「これは嫌いじゃないらしい」

「これをやられるのは少し嫌なようだ」

「とても落ち着いてプレーしているな」

「少し焦って力んでいるようだ」

 

このように、まずは相手のことを理解する必要がある。私の場合、それさえできればやるべきことが見えてくる。

 

「ならこうしよう」

「これくらい早く判断する必要があるな」

「こうしたらどんな対応をしてくるのかな」

 

必ずこの順番が求められる。自分のことは後回しで問題ない。なぜなら、やるべきことは、相手と対峙して、手を合わせてはじめて見えてくるからだ。

 

私は今の今まで「自分のコンディションが先立つ」と思い込んでいた。まずは自分の調子を上げることを考えるべきだから、自分の動きを分析すべきと考えてきた。

 

しかし、これまでの公式大会で優勝するための活動と経験で確信した。これは間違いだ。

 

自分の調子を上げるとは、相手にアジャストするということ、まずは相手のプレーに自分のプレーを合わせる必要がある。つまり、自分のことしか見えていない状態では自分の調子は上げられない。

 

まとめる。

 

試合では、自分のことはいったん置いておいて、相手のことを理解することにフォーカスする。自分がどれだけミスをしようと、自分のことは考えない。

 

まずは、相手の考えやボールを理解し、それに合わせることに集中する。ケースバイケースで相手の感情や相手がやってくることを理解していく。感じとっていくという表現の方が適切かもしれない。

 

次に、自ずと見えてくる意図に従う。

 

これが今の私が試合でやるべきことだ。これだけでいい。

 

もちろん、基本的に重要とされるボールの深さやポジションの高さなど、プレーの質は打ち合いながら高めていくことが大前提となる。

 

そのために、相手が打った直後、そのボールを理解した上で、できるだけ早く、次の狙いをイメージすることが重要になるが、これらは自ずと見出せることがわかった。

 

自分のことを見るのをやめて、相手のことを見ろ。テニスは社会だ。