死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

大会への向き合い方がわかってきた

今日、神奈川オープンベテラン2Rで第1シードを倒すことができた。

 

昨日の1Rと今日のこの2Rで、見えてきたことがある。大会への向き合い方だ。

 

いや、この向き合い方ができればシードにだって勝てるという話ではない。たとえ今日負けていても、正しく向き合えていることが重要であることに気づけたのではないかと考えている。

 

私の場合、試合は勝つために挑むが、やるべきことは「勝つこと」でも「負けないこと」でもない。

 

私が試合でやるべきことは「今打つこのショットに最適な判断をくだし、それを下半身と腹圧で打つこと。そしてそれを永遠と繰り返すこと」だ。これ以外ない。これだけだ。

 

これは、相手が誰であろうと同じだ。相手が変われば判断結果は変わるため、打つボールは変わるかもしれないが、このやるべきことは変わらない。

 

このワンショットワンショットの判断の積み重ねで結果は決まる。自ずとコート上の時間と空間を支配し合うようになり、勝敗という結果も後からついてくる。

 

「勝つ」とか「優勝する」とか「負けるかもしれない」とか、そんなことが頭をよぎっている時点で黄色信号だ。やるべきことに集中できていない。

 

そんな時は、次にどんなボールを打つかを考えればいい。そうすればすぐに正しい姿勢に戻れる。

 

そして、これは練習試合でもやる必要がある。

 

練習も本番も、淡々とこれを繰り返すのだ。もっと言うと、そのひとつひとつに一喜一憂することさえ意味がない。

 

だから、目標を達成する時というのは、「気づいたら臨んでいた結果を手に入れていた」という感覚なのだろう。

 

つまり、その結果を手に入れた瞬間は実感がなく、すこし時間が経ってから実感するような、そんな感覚なのだろう。

 

いや、もしかしたら、「目標は優勝」と掲げることさえ意味がないのかもしれない。競技スポーツをガチで取り組む以上、それは当たり前なのだ。

 

公言するのは、エンターテイナーとしての演出以外の意味はない。

 

これからは、目標にこだわるのではなく、そのショットの判断の質にこだわる。それをとことん追求し、その質が上がっていくことを死ぬまで楽しむ。

 

おそらくこれが、テニスの本質だ。