死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

正しい学歴主義

今回もふと考えたことについて、頭の整理をしたいので自分のために書く。

 

妻は音楽業界の世界シェアNo.1メーカーで人事をしている。彼女は学歴主義で、私は彼女のそんなところがあまり好きではなかった。

 

ただ、よくよく話を聞いてみると、彼女の学歴主義は、私の嫌いな一般的な学歴主義とは異なることがわかってきた。

 

ここで言う一般的な学歴主義とは、学歴だけで人を評価するものだ。

 

彼女の学歴の見方はそうではなかった。

 

学歴はあくまでも参考情報で、最後は本物かをちゃんと見て話して判断している。

 

何を持って本物とするかは後述する。

 

ただ、書類選考で学歴を見ているのは事実で、それについはこう話していた。

 

「例えば、開成や東大に入学している人は、変人と言われるような天才か、自分の意志でたくさん努力してきた【実績のある人】が圧倒的に多いから企業にとって有力な人材の可能性が高い。だから積極的に会って話を聞く」

 

早慶は幼稚園や小学校から入っている人もいるからそこは見る。大抵の場合、そのタイプの人より、たとえ東大や京大でなくても地方から出てきて国立の大学に入っている人の方が優秀」

 

「MARCH(マーチ)以下は学歴はそこまで見ないで、それ以外で何をしてきた人かを見る」

 

これらの説明をはじめて聞いた時はあまり理解できなかった。学歴で上や下と言っている時点であまり面白い話ではないと思っていたというのが正直なところだ。

 

ただ、息子が開成の合格を目指して中学受験を戦い終えた今ならわかる。

 

息子は、自らの意志でそれを目指し、自らの意志で私には到底真似できない猛烈な努力を続け、模試でも開成合格という結果を何度も出し、自信を備えて本番に臨んでいた。客観的に見ても息子の取り組みは本当に素晴らしかった。

 

しかし、合格できなかった。

 

それを間近で見れたことで、開成や東大レベルの学校に通う人たちの凄まじさを本当の意味で理解することができたのだ。

 

それでも妻はこうも話している。

 

「もちろん、開成や東大を出ていても輝いていない人はいる。稀だけど」

 

そうなのだ。以前、実際にそういう同僚が私の近くにいた。それ以降、私はさらに学歴主義に否定的になったことを覚えている。

 

学歴よりも重要な、本物を見分けるポイントは別のところにあるのだ。

 

それは「自分の意志でやりたいことをとことん追求し、たくさんアウトプットしてきた実績があり、生きることに今も前のめりになっているか否か」だ。

 

「実績を伴う、意志から放たれる目の輝き」とも言い換えられる。

 

先日の投稿「新しい学校のリーダーズ沼からの「!」」にある言葉で言い換えるなら「学生時代だけではなく、今も青春していること」だ。

 

「開成や東大に合格する過去を持ち、今も目の前のことに前のめりになり、目を輝かせて生きている人は、会社の文化と与えられた任務にマッチさえすれば、その会社の成長に大きく貢献する可能性が高い」

 

「たとえ開成や東大とは無縁でも、何かをとことん追求した実績があり、今も目の前のことに前のめりになり、目を輝かせて生きている人は、会社の文化と与えられた任務にマッチさえすれば、その会社の成長に大きく貢献する可能性が高い」

 

そういうことだ。

 

学歴なんて関係ないが、本人の意志の伴う高学歴は大いに関係がある。

 

逆に言うと、息子のように学歴は狙い通りいっていなくても、戦い抜いた事実とその後の輝きこそが重要なのだ。

 

ところで、東大に出て起業をするような人ほど「学歴は関係ない」「受験は無意味」と言っているが、なぜだろうか?

 

そして多くの人が、この言葉を自分に都合よく解釈していないだろうか?

 

次回はこれについて書く。あくまでも、自分の頭の整理のために。