もうだいぶ前に、先生や指導者、コーチが上で生徒が下という関係性は間違っていると考えるようになった。
先生の方が生徒より経験が多いというだけで、当たり前だが人としてはフェアだ。結果的には先生が与え、生徒が受けとることの方が多いかもしれないが、先生が生徒から受けとる=学ぶことがあっていいはずだと。
そしてむしろ、先生が生徒からも学び、ひいては共に学ぶスタンスをとった方が相乗効果が得られて生徒の成長率が高まる上に、先生も成長できるのだからWin-Winだ。そして何より、その方が先生という仕事が面白くなりやすいのではないかと。
先生が生徒に「なるほど!君のおかげで先生もそれに気づくことができたよ!ありがとう!!」といわれた生徒がドヤ顔にならないわけないし、その生徒の自己肯定感が育たないわけがない。このことは自分がその生徒の立場になったことを想像すれば誰にでもわかるだろう。
そして先日、それが起きた。
大学体育会庭球部のコーチ業でまさに私が学生にお礼を言わなきゃいけないことが起きたので今日はそれを書き留めておく。
私が学んだことは、2つ前の記事「一言でフェデラーのようになった事例」の中にある。
ここではプレー中の視野の広さについて言及している。
私はこれまで、「視野が狭くなっている」「もっと視野を広くすべきだ」といった言葉を使ってきた。
だからプレー中「もっと視野を広げろ」と自分に指令を出すことがあった。しかし、それで上手くいくこともあったが、いかないことも少なくなかった。
プレー中の「視野を広くする」とは?
うまくいかない理由はこれが曖昧だったからのようなのだ。
2つ前の記事に書いたように、教え子のひとりである女子学生に視野が狭まってしまうという相談をされ、経験にもとづいたアドバイスをし、結果的に彼女にとってよい成果を与えることができたわけだが、私のいう「視野を広くする」を彼女はこう表現していた。
「俯瞰してコート全体を見る」
これは、私の表現より具体的だ。
そして、これを私個人の練習の際に試してみた。
そしたらなんと!私もフェデラーモードになれたではないか!
厳密には、私の場合、これだけではフェデラーモードになれない。もうひとつやらないといけないことがある。それが以下だ。
「スプリットステップ直後に上体をひねってテイクバックを完了させる」
ざっくりいうと早い準備だ。合わせると以下となる。
「早く準備しながら、俯瞰してコートを見る」
これをすると、次が自ずと見えてくるのだ。コート上のすべてを支配できている感覚といっても過言ではない。
相手の動きの逆をつくことも容易になり、相手が次に打たれたら嫌なところも見えてくる。そして何も考えなくてもそこに打てる。脳と体が勝手にやってくれる。真の自動化。
まさに、フェデラーモードだ。
もちろん相手のレベルにもよるが、2つ前の記事にも書いている通り、たとえ格上の相手でも、ハッタリをきかせてそれを実践すれば再現できる可能性は高まるのだ。
私がその女子学生から学んだことは、「視野を広くする」よりも「俯瞰してコートを見る」の方が上手くいくということだ。