死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

ニセコリ圭斗のテニスベアで死んだ

昨日の日曜日、ちょっとテニスしておいた方がいいかもしれないと考え、金曜日にテニスオフやテニスベアで検索をかけていた。

 

いつもはサシのシングルス練を探すのだが、土曜日の大学コーチ業は炎天下の中、5時間も、自分も入って打ち合ってあげる必要があったため、1面4人でいいなと考えた。

 

そして、これに目をつけた。

 

 

4人で打ち合うなら半面だし球数もそれなりになりそうだからちょうどいいだろうとたかをくくっていたのだ。

 

土曜日の疲れが残る可能性もあると考えていたので、土曜日の夜の体調次第で、かつまだ空いていたらエントリーしようと考えた。

 

結果、エントリーすることにした。

 

ちなみに、ニセコリさんは顔見知りだ。テニスコートで会えば挨拶し、時には互いの近況報告をするような仲だ。

 

昨日は鎌トー(鎌倉テニストーナメント)の一般ダブルスで優勝してから駆けつけたと話していた。さすがだ。

 

顔見知りといっても、お互いがガチテニスプレーヤーということを知っている程度で、お互いがどんなことを重視しながら練習をしているかはそこまで知らない。

 

そして当日。

 

死んだ。

 

いや、いい感じに殺された。

 

はじめの1時間はひたすら球出し練習だったのだ。乱暴な振り回しではない。基礎がためという明確な目的のある、丁寧で確実な振り回しだ。

 

そういえば以前、ニセコリさんのYouTubeかなにかで厳しい球出し練習をしている動画を観たことを思い出した。

 

「それだったのか」

 

久しぶりの手出し練習だ。そして、久しぶりに靴下が汗でびしょびしょになった。お尻の筋肉が悲鳴をあげるくらい追い込んだ。途中、酸素が足りなくなりそうになった。

 

「はい、では宮田さん、もう1セット行きましょう!」

 

ニセコリ圭斗は何度も笑顔でこういうヤツなのだ。一瞬弱音を吐いたがすぐに「いや負けねぇ!」という変なスイッチが入った。

 

しかしこれは、こうでもしないと入らない特別なスイッチだ。そして、このスイッチを入れることは強くなるために不可欠なのだ。だからニセコリさんには感謝しかない。

 

ここ一年で一番追い込んだし、それによって得られることの多さを知ることもできた。

 

中でも一番大きな学びは、やはり筋力ではなく、正しい打点で無理なく打つべきということだ。

 

出力を高く維持したまま、例えば、20球連続で打つ。それを3セットやると、3セット目はもうフラフラだ。それでも出力を高く維持しようとすると、筋力に頼って打つのは不可能になる。

 

そこではじめて気づくのだ。

 

打点を正すために準備を万全にすることがどれほど重要なことか。その方が格段に省エネになる。Low エネルギー High パフォーマンスを実現できるではないか。

 

後半の1時間はラリー練習だ。ここは当初の想定通り、半面だから楽だった。

 

いや、もちろん、半面でもクロスラリーならセンターに戻る動作を入れるからそれなりに追い込む。ただそれでも相手がミスをしてくれれば休めるので、球出し練習より楽という意味だ。

 

ちなみに、ニセコリさんと以前打ち合ったのは1年以上前のことだが、その頃と比較して格段に、体の軸が安定し、かつスイングスピードが上がっていた。

 

打ち合えなくはないが、ボールの変化や圧が大きいので余裕は皆無、どうしても焦る瞬間がうまれる。余裕を得るためには慣れが必要だ。

 

何はともあれ無事、途中棄権することと、怪我することもなく終われた自分の身体を褒めてあげたい。

 

筋肉痛は今日より明日の方がキツイかもしれない。今日はしっかり回復に努める。