死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

ひとつ書き忘れた

息子の話だ。

 

少し前の投稿「息子の強みを言語化してみる」にひとつ書き忘れたから書く。

 

その時は2つの強みを書いたが、その後3つ目を思い出した。

 

3つ目のこれも、だいぶ以前から息子に備わっていた強みだ。おそらく保育園時代から。

 

そしてそれは、以前の投稿の最後に追記した、息子のストレングス・ファインダーの5つの特性にあった「着想」に関する話だ。

 

着想を辞書で調べると以下とある。

 

着想(ちゃくそう)

[名](スル)ある物事を遂行するための工夫や考え。思いつき。アイデア

 

少し乱暴だが、これは次のように言いかえることができる。

 

「やってみて、いろいろ気づく」

 

息子の3つ目の強みは以下だ。

 

「何をやっても、その面白みに気づき、楽しむことができる」

 

息子を見ていてこう思わされたことは少なくない。

 

わかりやすくそれを気づかせてくれたのは以前通っていた体操教室の先生だった。

 

その体操教室には、鉄棒、跳び箱、マット、トランポリンの4つの種目があった。

 

すべての子供が4種目を満遍なくやる。

 

そうなると、種目により気分が変わる子が出てくる。気分が乗る種目とそうでない種目があるのだ。

 

ところが息子は違った。どの種目も同じレベルで楽しんでいたのだ。

 

体操教室での息子は、決して「トップクラスにできる子」ではなかったが、間違いなくいつも楽しんでいた。

 

どの種目も同じくらいできた。

 

もちろん、その体操教室の先生方が皆素晴らしかったからというのは大きく、先生方には感謝しかない。

 

そんなこんなで体操は、長く続いた習い事のひとつとなった。

 

塾とサッカーを始めてから、それらを優先したかった息子は、仕方なく体操教室をやめる決断をする。

 

そして、体操の先生方とお別れの挨拶をする中で、ひとりの先生がこう言ってくれたのだ。

 

「彼はなんでも楽しめる子ですよね。体操の各種目もそうですし、テニスやサッカー、勉強まで。塾も学校も大好きと聞いていました。なかなかいないですよね」

 

そう言われて、確かにと思った。

 

その先生と息子は日本史も好きで、その話でふたりで盛り上がったこともあり、余計そう感じてくれていたのだろう。

 

そう言えば、塾でもその力が結果に現れている。

 

国語、算数、理科、社会。どれも同じだけできるから息子のレーダーチャートはいつも大きなマルになる。

 

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息子は、なんでも楽しむことができる。

 

これは、生きていく上で明らかに有利だ。