死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

練習モードはやっぱダメ

2020年11月にテニスのシングルスで目標を持ってガチのアマチュア選手をすると決めてから、オンコートでテニスをする時は常に試合モードでプレーしていた。

 

というのも、自分の場合、試合慣れすることが強くなる近道と確信していたため、練習はすべてサシ練、かつガチ試合をしていたから自ずとそうなる。

 

試合で勝つために必要な技術力はあるのに、試合でその力を出し切ることができていなかったからまずはそれをできるようにするのが先決と考えたのだ。

 

もちろん、持ってる技術を持続的かつ安定的に発揮するためのフィジカル強化は別途やっている。

 

その結果、みるみる強くなる自分がいた。

 

そして最近、試合で今持っている力をすべて出し切れるようになってきた。

 

こうなると、さらに強くなるために必要なことは変わってくる。

 

新たな技術や戦術を習得する必要があると気づく。

 

これまでのように試合ばかりやっていてもそれは習得できない。そこではじめて練習の必要性を理解する。

 

そんなわけで最近は練習する時間も取るようにしている。

 

これまでは、アップをしたら試合だった。それを最近は、アップをし、練習をしてから試合をしている。

 

ところが、ここで問題が発生する。

 

練習モードとでも言うべき、モードが自然発生した。

 

取り組んでいる新たな技術や戦術に意識を向けるあまり、試合の時の心理状状態とは大きく異なるマインドでボールを打っている自分がいたのだ。

 

これはしかるべき姿という人もいるだろう。新しいことに取り組んでいる時は試合の時のメンタルとは違うのは当たり前。

 

しかし、私の場合、これは効率が悪いと感じている。

 

一度練習モードが発動すると、試合モードに切り替えるまでに時間がかかるのだ。

 

であれば試合モードに切り替える術を見出し、身につければ良いという話もある。

 

しかし、直感的に、それよりもこっちの方がいいと考えている自分がいる。

 

練習を試合モードでやる。

 

なぜこの方が自分に合ってると思うのか、その理由を説明するのは難しい。

 

それでも、試合モードのまま、新たな技術や戦術を取り入れた方がいいという直感がある。

 

この場合、大きく変わることはないだろう。ほんの少しずつしか変わっていけない。それでも、いや、むしろその方が自分には合っていると思う。

 

ここからは少しづつ、コツコツと、しかし確実に、強さを積み上げていく。

 

練習相手にはそれを共有した上で、練習も試合モードでプレーする。