死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

子供は親元を離れてからの方が成長する

昨晩、家庭内である問題が勃発した。それについては書かないが、というか書き切れないが、それを経験してたどり着いたひとつの結論を書き留めておく。

 

息子を見ていて思う。早く巣立った方がいい。私と妻の元にいる息子の伸びしろなど、たかが知れてる。

 

あえて自由を与えることで、息子自身がたくさん自業自得の痛い目にあって、人に迷惑をかけて、その失敗から、多くのことを学んでいった方がいい。

 

AI時代の今、私は地頭の良さと行動力が本当に重要になっていると考えている。

 

言い換えれば、教えられなくても自分で気づいて成長していける、さらには、社会をより良くしていける人になることが重要ということだ。

 

そしてその地頭は、自由を与えられない限り育たない。大人の支配下や先生と生徒という関係、親に守られた環境では絶対に育たない。

 

妻は中学生になる息子と通勤通学を途中まで共にできることを喜んでいたが、そんなことをしていては息子の可能性はどんどん小さくなるばかりだ。

 

大人と生きる時間は、減らせるだけ減らした方がいい。中学生になれば尚更だ。

 

子供たちだけで上手くやる、子供社会を楽しんでほしい。それは、大学生以降の世界だ。それを、中学生以降は子供に与えるべきだ。

 

だから、息子をそんな環境に放り出したい。それが私の育児方針だ。

 

しかし、妻の育児方針はだいぶ異なる。その上、妻は頑固だ。

 

それを説得し、行動を変えてもらうことはほぼ不可能。ならば、妻に全責任を持ってもらおう。息子を託す。

 

私は息子より自分のことに集中すべきと考えているのだから、それでいいだろう。これも私の育児方針の一部だ。

 

息子の課題は、息子が向き合うことだ。それは私の課題ではない。私は、私の課題に向き合い、成長する姿を見せ続ければいい。

 

だから少し前から、私はある意味で育児放棄を始めている。そして、昨日の一件で改めて心に決めた。

 

私は育児放棄を続ける。

 

中学生以降の子供に対する親の力など、たかが知れてるのだから。