死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

テニスコーチとしての自分の伸びしろ

私はIT企業のサラリーマンをやりながら、週に一回、平日の夜に2レッスンだけ近所のテニススクールでコーチをしている。

 

ひとつはジュニアの中級クラスで主に中学生。もうひとつは一般の初中級クラスだ。

 

この副業は、お金をもらいながら大好きなテニスで生徒が輝く時間をつくるという、私にとっては最高の時間のひとつだ。

 

先日、教え子の中学生のお母さんとレッスン後に少しだけ会話をした。その時に話されていたことが嬉しかったので書く。

 

お母さん「娘は、宮田コーチに見てもらうようになってから本当に変わったんです」

 

私「そうなんですね。それはよかったです。(私の影響かはわかりませんが)確かに変わってきましたよね。今は自分の意志でテニスしてるなと」

 

お母さん「そうなんです。それまではずっと受け身だったんですよ。ずっとです」

 

私「今は『こういうプレーをしたい』っていうのがあって、自分で決めたいろいろな課題に自分で取り組んでいます」

 

お母さん「はい。学校の試合でも勝てるようになって、余計に楽しくなってきているみたいです。宮田コーチのお陰です」

 

私「いやぁ、それは本人の力ですよ。これからも楽しんでもらえるように頑張ります」

 

お母さん「楽しみながらですよね。ありがとうございます」

 

正確には再現できていないがこんな会話だった。コーチ冥利に尽きるとはまさにこのことだ。

 

私のクラスに通う子供たちはみんなおとなしいタイプばかりだ。こちらが話しかけても、首を傾げながらゆっくりと受け答えする子の方が多い。少なくてもペラペラ話す子はいない。

 

その上、私が冗談をいってみんなを笑わせるようなキャラではなく、ひたすらテニスに集中してプレーを楽しむ人間のため、子供たちがわかりやすく笑っている瞬間は少ない。

 

レッスン中の子供たちの表情は、さして大きくは変わらない。

 

それでも、私は彼らが心の中で笑っているのがわかるのだ。心の中は熱くなっている。そして、彼らの目はジワリと輝いている。

 

ただ、私は今の自分のレッスンに満足はしていない。指導者として、私はまだまだだ未熟だと思っている。

 

いや、一般的な多くの指導者が気づいていない本質的な部分に気づいている自負はある。だから、少し変わったなんかいいコーチになれているとは思う。

 

けどたぶん、私が気づかないといけない、もうひとつ大切な何かがある。それに気づけたら、きっと、もっともっと生徒やその家族の心を動かすことができるはずだ。

 

と書きながら、改めて考えてみると、たぶんそれは、以下だ。

 

「生徒個々人の良いところにもっともっと目を向け、自分の強みとして本人がより強く自覚し、本人がそこにさらに注力することで、成功体験を今まで以上にたくさん積み重ねられるように支援する」

 

これは、基本的には今自分が着目していることと同じで、それをもっとひとりひとりに対して色濃く実践するということだ。

 

これを実現できた手応えを得るまでは、まだまだ現場に立っていたいと思う。