死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

不満を垂れずにその変化に適応すると決めた

テニスでも、相手や環境の変化に適応する能力が求められるという話はあるが、今回書きたいのは生き方の話だ。

 

サラリーマンとして賢く働くための考え方と言ってもいいかもしれない。

 

「環境の変化に不満を垂れるのはやめて、割り切って適応していくと決めた。適応していくことをむしろ楽しもう」

 

ここ数年の間に会社のルールがたびたび、そして割と大きく変わっていくという経験を経て、私は今ようやくそう思えるようになったのだ。

 

私はインドのIT企業に勤めている。4,5年前に社長が日本人からインド人に変わったのだが、それからというもの、社則も含めていろいろなことがバンバン変わっていっている。コロナ禍も重なったからというのはあるが、それ以上に社長の影響が大きい。

 

会社の成長を加速させるべく、どんどんトップダウンで変えていく。コロナの影響による変更はまもなくなくなるだろうが、社長はおそらくその後もどんどん変えていくだろう。

 

私の場合、コロナ禍に突入した直後の変更「今後は100%自宅勤務」には大きな不満はなかった。

 

もともとフルフレックス制度などを利用して積極的にカフェ勤務などをする稀な社員だったからだ。

 

部下も持たず、ひとりで完結できる仕事やポジションを意図的に獲得していたこともあり、その変更によって仕事のパフォーマンス=会社の求める成果を低下させることはなかった。

 

むしろ私にとっては無駄に拘束される出社のための移動時間がなくなった分、プライベートの時間を増やすことができたので好都合だった。

 

しかし、コロナが明けかけた時、社長が突然、全社員にこんなアナウンスをした。

 

「明日から70%以上出社せよ」

 

100%自宅勤務を1年以上続けてきて生活リズムが確立されている最中、突然そう言われたのだ。

 

これに対して私は社長に噛みついた。いや、流石にこれは私だけではなかった。社内SNSにはものすごい数の批判的な意見が投稿された。私は社長に直接メールを送って主張したりもした。

 

今思うとやりすぎだったと反省するほど私も他の社員も不満垂れまくりだったと思うが、社長はそれらすべてに真摯に対応していたのを覚えている。

 

ただ、流石の社長も「おぉ、これが日本人か」と驚いたと同時に反省したのであろう。数週間後には前言撤回し「1ヶ月後からは、60%出社せよ。オフィスで5時間勤務すればその日は出社日と認める」が正式なアナウンスとなった。

 

それでも不満があったが、1ヶ月という移行期間を与えられたことで多くの社員がそれに適応することができた。渋々であったことは否めないが、私もその1人だった。

 

一方で、一部の適応できない人は会社を去った。

 

そして、今年の1月からさらに出社義務が強化された。

 

12月のアナウンスでは「来年1月からは70%以上の出社を義務付ける。これまで認めていた午前自宅勤務、午後オフィス勤務のようなハイブリッド勤務は承認制とし、認められるのは正当な理由があったときに限る」とあった。

 

私は毎日のようにハイブリッド勤務をしていたため、生活リズムの変更を余儀なくされた。

 

今回は、部長と会話し、少し不満を漏らしつつも、これまでに近い働き方を模索することにした。

 

そして、プライベートの時間が以前と変わらない勤務の仕方をルールに則った範囲で見出すことができた。

 

これに気づけた時、嬉しかったと同時に思ったのだ。

 

「これからは、不満を垂れるかっこ悪い男ではなく、何にでも適応して前向きに生きるかっこいい男になろう。社長はバリバリのビジネスマンであることもわかった。これからの変化にもとことん適応していくことに決めた」

 

歴史的に見ても、生物は環境適応できたものだけが生き残ってきたと言われるが、それはきっと何においても言える。

 

これは逆に言うと「変化する環境にどんどん適応していくぜ!と割り切った方が幸せになりやすい」ということだ。