死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

何者かになれるかは何で決まるのか

特に男は、「何者かになりたい」「有名人になりたい」と思ったことがある人が少なくないと思う。

 

私にはあった。

 

それは「社会に対して大きな影響力を持つ者になりたい」とも言い換えられるかもしれない。

 

私がそう思いはじめたのは社会人になってからだったと思う。そうだ、思い出した。ホリエモンが出てきて起業ブームが始まった頃だ。社会人3年目の頃。

 

それから、自分なりにさまざまな挑戦をした。まず「脱サラ」だ。その後は、わかりやすいものを挙げると例えば以下だ。

 

  • 音楽を流して墨で絵を描く路上パフォーマンス
    • 書いた絵がその場で3,000円で売れたこともある。新宿でやった時は結構の人集りを作り、その時の絵は最も納得のいくものになったのを覚えている。
  • 全身タイツを着て外でテニスをするYouTuber
    • 友達と2人でやっていた。チャンネル登録者数1,000を超えたあたりでその友達が音信不通となり頓挫した。まぁ、限界も感じていた。
  • 個人事業主としてデザイン事務所を開業
    • Webデザインとホームページ制作を独学で習得し、ほぼハッタリで仕事を取っていた。車や50万の腕時計を買えるほどだったので、新卒サラリーマンよりは稼いでいたが、1人でやる限界が見えて次のステップに進むことにした。
  • 先輩と共にバングラデシュと日本のビジネスの架け橋となる事業で起業
    • 父からもらった150万円すべてを出資した。バングラデシュにも3回、計3ヶ月滞在した。しかし、息子が生まれた頃にまだ事業を起動に乗せられておらず、自分は離脱した。

 

結局、何者にもなれなかった。

 

家族を持ち、サラリーマンの道を選び、40代になった今は、当時と同じような思いはない。それでも、副業は細々と続けている。

 

そして心のどこかに、「サラリーマン以外で自分ひとりからゼロイチの価値創造をすることで稼ぎが得られるようになりたい」という想いが残っている。

 

これは、「何者かになりたい」に近い。

 

「個人で稼げるようになる」は「何者かになる」の通過点だ。一歩目、二歩目くらいまでは一緒だ。

 

この挑戦はまだ続ける。

 

しかし、自分ひとりの力で「何者かになる」のはもう不可能だ。なぜなら、時間が足りないからだ。日々の時間という話ではない。人生を賭けるほどの時間の絶対量が足りないのだ。

 

何者かになれるかは「何かに圧倒的に夢中になった時間の量」で決まる。

 

いや、もっと正確に言うとこうだ。

 

「自分が世界中の誰よりもそれに夢中になっていると思えるほどに、夢中になっている何かがあるか」で決まる。

 

これは、いろいろと挑戦をしてきたが結局何者にもなれなかった自分の経験からも、今驚異的なスピードで成長していく息子を見ていても、さまざまなジャンルの世界のトップクラスの有名人の話からも言える。

 

間違いない。

 

もちろん、もともと影響力のある家系に生まれればそれがなくても影響力を持つといった話はあるが、今回の話は、一般人が影響力を持つまでの話だ。

 

そして、人間が圧倒的に夢中になれるのは子どもの時、親元を離れる前、または、親元を離れた直後から結婚するまでの間だ。

 

つまり、10代20代でほぼ決まる。

 

私の場合は、そもそも遅かったのだ。社会人になってからでは遅すぎる。

 

いや、違う。社会人3年目は25才くらいで結婚する前だったからまだ可能性はあったはずだ。そして、夢中になったことがあった。

 

それは「Webデザインとホームページ制作」だ。

 

例え25才からでも、結婚の優先度が下がるほどそれに夢中になり、Webアプリケーション開発にまで手を広げ、夢中に開発とサービス提供を繰り返し、たくさんのユーザーを獲得するアプリケーションが出てくるといった成功体験まで生まれ、さらに夢中になるという好循環が生まれていたら、今よりはもう少し、何者かに近づいていたかもしれない。

 

それでも、やはりそもそも遅いというのは大きなハンデだったことは間違いない。いや、これは言い訳ではない。それが事実で、それが私の選んだ人生だったというだけの話だ。

 

そして今、私の一番近いところに、将来の可能性に満ち溢れている息子という存在がある。

 

息子は、YouTubeなどで世界中のさまざまなジャンルの世界トップクラスの有名人を希望の眼差しで観て、真似している。つまり、何者かに自分もなれると信じている。

 

だから、私もそう信じている。

 

そして、何でもいいから、息子が興味を持ったことに夢中になれる環境を提供することだけを考えている。

 

ここに書いた話は、伝える必要はない。

 

何も言わずに、ただただ、息子が何かに夢中になれる環境を提供し続けていればそれでいい。

 

それが、親の役目だ。