死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

育児期間は完全に終わった

息子は、まもなく中学受験本番を迎える。小学6年生だ。

 

最近は、息子と話すことが以前と比較して少なくなった。それぞれが、今夢中になりたいことに夢中になっているからだ。

 

しかし、「親として息子に伝えたいこと」が、どこからともなく湧いてくる。

 

数少ない機会でそれを話してみる。いつも真面目な話だ。

 

しかし、もう上手くは伝わらない。息子は、もうひとりの人間として考えを持っているからだ。

 

私が20代になって父親に対して抱いていた感情を、息子はすでに私に抱いている。

 

「うん、それもあるかもしれない。けど、俺はこう思ってる」

 

息子の場合、それを主張して、父親と意見をぶつけ合うことに価値を見出していないようにも見える。

 

「はいはい、また始まった」

 

と言われるわけではないが、受け答えがそんな感じだ。さらに、話を逸らそうとし、笑い話にすり替えられる。

 

これは、拒否られていると考えた方がいい。いや、息子は「パパとは一緒に笑っていたい。それだけで十分なんだ」と、そう思っているのかもしれない。

 

そして、私は話した後に思う。

 

最近の私は、息子に対して余計なことしか言っていない。あんなこと言う必要なかった。むしろ、言わない方がよかった。息子といる時間は、笑顔でいたい。

 

「我が子を育ててあげないと」と思う心を育児心というとするなら、もう、息子に対する私の育児心は必要ない。

 

それは、むしろ息子に悪影響だ。何も言わない方が息子は伸びる。言えば言っただけ、伸び率は下がる。間違いない。

 

息子に対する、自分の言動や振る舞い、見方を改める。

 

もちろん、私が「彼」の父親であることは、これからも変わらないが。