死ぬとき笑う

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子ども肯定感とは?これからの育児の新常識

はじめまして、育児のゴールは「社会人として、我が子が親である自分を超えること」と考えている宮田です。

 

私には今小学6年生のかわいいひとり息子がいます。そして私は、彼が自分を超えることを既に確信しました。厳密には4年くらい前に確信していました。

 

今回は、育児という観点で、何がそうさせたのか、私なりの見解を書いておこうと思います。これは近い将来、育児の常識になるのではないかとも思っています。

 

まず、現段階で既に私を超えているところもたくさんあるので、わかりやすいところを紹介します。

 

例えば、息子は今はサッカーと勉強が大好きです。

 

息子のサッカーのレベルは、国内のレアル・マドリードサッカースクールの選抜クラスや市のトレセンに選ばれるくらいです。

 

勉強のレベルは、ちょっと我々凡人とはレベルが違い過ぎで、中学受験で国内最難関校に挑むくらいです。合格するかはわかりません。本人もそれは五分五分と話しています。

 

「どうせ親がやらせてるんでしょ?」と思う方もいるかもしれませんが、息子の中学受験は一般家庭によくあるそれとはまったく異なります。

 

といいますか、このレベルになるとやらされている子どもの方が稀だったりします。みんな勉強が好きすぎてどんどんやっちゃう変人ばかり。

 

だから暇さえあれば問題と向き合っています。「勉強はもういいから早く寝ろ!」と言ったことは何度もあります。

 

中学受験を優先し、サッカーで「県トレセンは挑戦しない」と決めたのも本人ですし、海外旅行好きの妻が「コロナ明けたし今年こそ海外旅行に行こう!」と意気込むも「いやいや、さすがに今年はやめて」と断ったのも本人です。

 

私は中学受験にはノータッチ、というかもはや育児にノータッチです。私が関わっていたのは7才くらいまでで、その頃既に「あ、この子は確実に私を超える」と確信していました。

 

そんな感じでうちの息子はいろいろとスゴすぎで、もう私も妻も息子の能力が自分たちより高い部分が多いことを認めざるを得ない状況です。息子が叩き出すさまざまな結果や日々の姿勢がそれを証明しているので。尊敬すらしています。

 

極め付けは「西日本最難関の灘中受験の旅費を塾に負担してもらえる権利」を勝ち取ったことです。彼は以前からこれを狙っていました。通うつもりはありませんが、腕試しで受けたいとずっと前から話していました。

 

こう書くと「生まれ持った才能」とか「生まれつきの天才」のように聞こえるかもしれませんがそうではありません。彼は努力家タイプです。

 

自分でもこう話しています。

 

「俺は天才じゃない。天才タイプの友達がいるからわかる。俺はたくさんやってできるようになる秀才」

 

さて、息子自身がスゴいのは間違いなく、ここでそれを「親のお陰だ」と手柄を横取りするようなつもりはまったくありません。

 

息子が今の息子になった一番の要因は、息子自身が自分の興味の向いたことをとことん追求したからですし、おそらくそれ以外にも、指導者や仲間に恵まれているなど、数え切れないくらいたくさんの要因があります。それは複雑で、再現するのは不可能でしょう。

 

それでも、私も妻も育児にはそれなりのこだわりがあり、それが今の息子に影響しているのも間違いありません。

 

そこで、少し考えてみました。

 

「我が子には将来、社会をよりよいものにする、価値を生み出せる人間になってもらいたい!という想いが親にあった場合、その実現のために、親が取るべき育児において、もっとも重要なことをひとつあげるとしたら、それは何だろう?」

 

その問いに対してこれまでの経験から私が出した答えが、この記事のタイトルにある私の造語「子ども肯定感」です。

 

これがきっと、根本的な部分でもっとも重要と言えるのではないかと。

 

子ども肯定感とは?

 

子ども肯定感とは、親がありのままの我が子を肯定する感覚のことです。

 

我々夫婦にはこれがありました。愛があるのは当たり前で、その上にこれがあるイメージです。

 

妻「私の息子が、素晴らしくないわけがない」

私「お前はホント、素晴らしいやつだな!」

 

私たち夫婦は、息子を他の家の子どもたちと比べて嘆くようなことは一切なく、日常的に息子の良いところに目を向け、時にはそれに驚き、時にはそれを喜び、その感動を家族3人で分かち合ってきました。これは今も変わりません。

 

この影響はそれなりにありそうだというのが私の見解です。

 

なぜなら、これがあると日々親が我が子に投げかける言葉が自ずとポジティブになり、「僕(わたし)はできる」というポジティブなマインドが我が子を支配していくからです。

 

要は、子ども自身の自己肯定感がどんどん育つということです。

 

実は、私も妻も自己肯定感の高い人間です。だから子ども肯定感も高まりやすいというのはあると思います。

 

ただ、稀かもしれませんが、たとえ親の自己肯定感が低くても、親の子ども肯定感が高ければ、その子どもの自己肯定感は高まると私は考えています。

 

ちなみに、その上で、こんなことも大切にしています。

 

我が子が何に興味を示すかは、私はなんでもいいと考えています。息子の場合はたまたまサッカーと勉強でした。

 

「何をやらせないか」は重要ですが、「これをやらせたい」は不要。

 

重要なことは、親が我が子の将来を見越して提供したさまざまな環境の上で、我が子が自分のペースで自分の好奇心に任せて自分のやりたいことをやりたいだけできる経験をさせてあげること。

 

私たち夫婦はそう考え、息子にそれを提供してきました。

 

そして、幸運にも、良い指導者たち、良い仲間たちに出会いました。

 

こういった経験をしてきた子どもたちが、この世の中をより良いものに変えていける大人たちになると、私は信じています。