死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

まだまだ飛躍できる

今日もテニスをした。火曜朝練パートナーとのサシ練だ。

 

サシ練はダラダラやらないと決めている。強度を本番の試合の時とほぼ同様のレベルまで引き上げる。

 

毎回限界を突破するくらいの気迫で取り組まないと、自分の納得のいく時間にはならないからだ。

 

つまらない人生を歩みたくない。今この瞬間に全力で向き合い、今の自分と全力で向き合ってはじめて、生きていることを実感できるのだ。

 

しかしそれでも、出し切れないことはある。今日はそんな日だった。いや、95%くらいは出せている。しかし、この最後の5%がとても重要だ。

 

言い訳を並べる。

 

火曜日の朝練が雨で中止になっていたので、ガチを久しぶりに感じていた。といっても日曜日は鎌倉市選手権だったのでたかだか6日ぶりなのだが。実際、身体が鈍っている感覚があった。

 

そして、一番大きいのは、今年の大会がすべて終わっていたことだろう。テニスに関しては無意識のうちに正月モードに突入していた。

 

これは反省すべきだ。

 

一方で、収穫もあった。

 

それは、最近の投稿で何度も書いている「相手に合わせる」と「リスクを取りすぎないテニス」を再現できたことだ。

 

いや、実際はミスも多かった。それは、気迫が足りなかった分で出たものだ。気持ちがついてきていない分、踏ん張れずに、あるいは雑になり、ミスが出た。

 

ただ、それを差し引いて見た時、相手に合わせる感覚とリスクを取りすぎないテニスを実践できたことで得た成果は確かにあった。

 

まだまだ完璧ではない。だからこそ、完璧にすることで飛躍できるという確信がある。

 

さらに、今日初めて気づけたこともあった。

 

それは、課題のサーブだ。サーブでも「合わせる」という感覚がよさそうなのだ。

 

打ち合いにおける「相手に合わせる」は、厳密には、「相手の打ってきたそのボールに合わせる」だ。

 

これは、アクションする起点が自分ではなくなるということだ。起点はそこにあるボールになる。

 

「相手のボールがこうだから、それにラケットを合わせてこのボールをあそこに打つ」

 

これがそこにあるボールを起点にできている時の感覚だ。こうやってその瞬間をとらえられたとき、私のプレーは飛躍的に良くなることがわかったのだ。

 

「自分がこうやってこのボールをあそこに打つ」

 

これが自分を起点にしてしまっている例だ。自分に意識が向いている。これだと私は上手くいかない。

 

これをサーブに応用してみた。

 

「自分がトスアップしたそのボールがこうだから、それにラケットを合わせてあそこに打つ」

 

いい。

 

今はまだこれだけではダメで、油断すると腹圧が抜けてチグハグになるのだが、そこにあるボールに合わせる感覚は必ず今後サーブを得意なショットに変えてくれるだろう。

 

サーブも、腹圧を高めるのは忘れずに、やっぱりそこにあるボールに合わせて打つのだ。

 

もっともっと打ち込みたい。明日のテニスオフを探す。