死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

当たり前なのにやれていなかったこと

考えてみれば当たり前のことなのだが、ここ2週間ほどの間に、本当の意味で理解できたことがある。今回はそれについて書く。

 

これは、テニスで気づいたことだが、社会を生きる上でもとても重要な話だ。

 

結論からいうとそれは「まず相手を理解して、相手に合わせた方が上手くいく」ということだ。

 

社会とは、自分と自分以外の誰かがいる世界だ。もう少し正確にいうと、かつお互いが何かしらの影響を与え合っている世界だ。

 

「社会」の反対は「個人」。

 

個人とは、自分しかいない世界といえる。

 

ざっくりいえば、1人しかいなければ個人、2人以上いれば社会となる。

 

誰とも関わりたくない人は必要なものを全部持って無人島に移り住み、1人で自給自足の生活をすればいいということだ。誰かに気を使う必要のない、やりたいことをやりたいだけできる、本当の意味での自由を手にすることができる。

 

社会人という言葉があるがこれも同じだ。

 

社会人とは、自分以外の誰かに影響を与え、自分以外の誰かから影響を受けざるを得ない環境にいる人だ。

 

ちなみに、仕事とは、そんな環境に生きる自分と自分以外の誰かをハッピーにする価値を創造することだ。

 

だから、社会においては、何も考えずして、自分の「これがしたい」を実現することはできない。他の誰かにはそれとは別の「これがしたい」があるのだから。

 

社会において「やりたいことをやる」「出したい結果を出す」とは、他の誰かのやりたいことを理解した上で、上手に、自分のやりたいことをやるということだ。

 

そう、まず先に、他の誰かのやりたいことを理解する必要があるのだ。

 

その方がお互いのハッピーを目指しやすいため、他の誰かのことを理解せずに強引に押し進めた時よりも圧倒的にことが上手く進んでいく。

 

社会人として生きるならこれは当たり前で、基本中の基本だったわけだが、40代になった今になってようやく理解できるようになった。

 

最近、仕事が楽しいのはこれがわかったからというのもあると思う。

 

さて、これを踏まえてようやくテニスの話だ。

 

様々なスポーツを、ここでいう個人的スポーツか社会的スポーツかと考えた場合、テニスのシングルスは社会的スポーツになる。

 

自分以外にもう1人、対戦相手がいるからだ。

 

一般的には、1人で戦うスポーツを個人スポーツ、2人以上で戦うスポーツを団体スポーツと呼び、テニスのシングルスは個人スポーツに分類されるため少し紛らわしいが、今回の論点においては、テニスのシングルスは社会的スポーツとなる。

 

当たり前だが、対戦相手の影響を受ける。しかも、ゴルフとは異なり、直接受ける。

 

だから、相手のことを考慮せずに、自分のやりたいことをやることは不可能だ。

 

「相手がこうしてくるから、自分がやりたいことをやるためには、こうする必要がある」

 

とまず相手のことを理解する必要があるのだ。

 

もちろん、相手とのレベル差が大きければやりたいように力でねじ伏せることができるが、ガチの勝負というのは多くの場合、力が拮抗するものだ。だからそれを前提に話す。

 

わかりやすい具体例を挙げるなら、相手がコートの外から戻ってくる前にオープンコートにボールを打ち抜きたいと思っても、相手が対空時間の長い山なりのボールを深く返球してくればそれは叶わない。

 

そしてもうひとつ、私がよくやっていた具体例が以下だ。

 

試合開始後、自分の理想のプレーを目指すわけだが、その時に、自分のことしか考えていなかったのだ。

 

「足は動かせているか?」

「腰は落とせているか?」

「腹圧は高められているか?」

「ボールは見ているか?」

「ラケットを振り抜けているか?」

「打った直後に素早く次の準備ができているか?」

 

確かに、どれも重要な基本だ。だから確認はすべきだ。そして、やれている。

 

それなのに、自分の打点で打てない!

 

私の場合、気持ちが速って、打ち急いで、ボールを引っ張りすぎる。それ以前にガシャる。特に、遅いボールを打つ相手の時だ。

 

この問題が、この気づきで完全に解消できた。

 

この気づきを得られるまでは、いろいろな対策をした。例えば以下だ。

 

「もっと待て」

「もっとボールを引きつけろ」

「もっと長くボールを見ろ」

「もう一歩前に入れ」

「序盤は出力を80%に抑えよう」

 

しかし、上手くいくこともあれば、上手くいかないこともあった。

 

なぜなら、相手によって球威が異なるからだ。これらの対策は、すべて自分が基準になっているからだ。

 

そうではなく、やるべきは「相手のボールのスピードを感じ取り、それに合わせる」だったのだ。

 

基準を自分ではなく、その時の対戦相手のボールスピードにするのだ。

 

つまり、まずは相手のことを理解することから始めるということだ。

 

これに気づいてから、ここ数日の自分のテニスの感覚がまた劇的に改善されていく手応えを得ている。

 

社会においては、まずは相手のことを理解し、それを考慮しないことには、自分のやりたいことはできない。

 

これは社会を生きる以上、避けて通ることのできない原理原則なのだ。

 

これに気づけた私は、強い。

 

ちなみに、今日の朝練でサーブも生まれ変われる手応えを得た。これについては次回書くことにする。

 

生きてる間に生まれ変わる。