死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

イップスを楽しむ

いや、深刻なイップスではないからそう言えるのだろうが、ここ数回のテニスで気づき、イップスを克服するためには、「イップスを楽しもう」と考えることが重要なのかもしれないと思ったので書く。

 

少しさかのぼって3ヶ月ほど前。感じはじめたことがある。

 

「もしかしたら、フォアのローボレーがイップスかもしれない…」

 

スライス面を作って打点を迎える直前、「あれ?わからん」となり変な力が入るのだ。

 

もちろん、そんな事実は受け入れたくない。

 

「うん。考えないことにしよう。これはイップスではない」

 

そう蓋をしてきた。

 

さらにさかのぼって約3年前。シングルスでガチ目標を立てた選手活動をはじめた。それ以降、ダブルスをほとんどしなくなり、ボレーを打つ機会が減った。そのせいか、器用さがなくなった。

 

いや、器用さは「捨てた」が正しい。

 

なぜなら、器用さに頼っているとシングルスでは勝てないと悟ったからだ。

 

もともとは器用な方で、昔はコーチとしてレッスンをしている時もドロップショットなどのタッチショットはイメージ通り打てた記憶しかない。

 

しかし、その頃のテニスは下半身をまったく重視できていない小手先テニスだった。

 

だからガチ勢にはほとんど勝てなかった。しょせんエンジョイ勢あがりの商業テニスコーチだったのだ。

 

今は違う。ガチ勢として生まれ変わり、下半身をしっかり使って、すべてのボールを自分の打点で打ち切るテニスをベースにしている。

 

その分、器用さがなくなったが、勝利という結果がついてきているためそれはまったく問題視していない。

 

今のドロップショットは下手すぎて笑えるレベルだが、それでもたまに上手いこと打てることもあり、今はそれくらいでいいと思っている。

 

そんなこんなで、不器用を受け入れていたら、その最たるところに行きついてしまったようだ。

 

いや、イップスを不器用の延長で語るのは専門的には大間違いだろうが、個人的には経験上そう言える。

 

不幸中の幸いは、シングルスではフォアのローボレーを打つことがほとんどないということだ。

 

だから、実験的にこの記事を書くことにした。

 

書くということは、自分がイップスと初めて認めることに他ならない。

 

「それでも、これは乗り越えられる」

 

そんな手応えをここ数回のテニスで得た。

 

私は、フォアのローボレーイップスを封じ込むショットを編み出したのだ。

 

それをわかりやすく言うとこうなる。

 

「フォアハンド・ロー・ドライブ・ボレー」

 

ガチ試合中に自分がこのショットを無意識に繰り出した時は正直驚いた。

 

「あ、今、テニスをクリエイトした。楽しい!」

 

最近プロのダブルスを見ていてネットの高さより少し低いあたりでドライブボレー気味に押し込むボレーをよく目にする。そんな感覚に近かったと思う。

 

そして直感的に思った。

 

「これは再現性ある」

 

ただし、「フォアのローボレーもドライブボレー気味に打つ」という言語化は重要ではなさそうだ。

 

おそらく、プレーの流れの中で、イメージで打った方がいい。遊び心があるくらいがいい。脳と細胞に任せてテニスを楽しむくらいがいい。

 

というわけで、イップスも楽しむ。