死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

ウィンブルドン決勝からの学び

今年のウィンブルドンはアルカラス選手の優勝で幕を閉じた。

 

アルカラス選手の試合後の会見で話していたことが興味深く、示唆に富んでいたのでそれについて書く。

 

「試合前は勝てないと思っていた。明らかに」

 

そう話していたというのだ。

 

それなのに勝てたということは、「心」以外の、「技」と「体」でジョコビッチ選手を大きく勝っていたことを意味する。

 

あのジョコビッチ選手に技と体で大きく上回っているとは、末恐ろしい。

 

その会見で「これからは彼のことを違う見方をするようになる」とも話していた。

 

これはつまり、心が大きく強化されたという意味だ。

 

わかりやすくいえば、「あのウィンブルドン決勝のジョコビッチ選手に勝てたのだから、自分は彼のひとつ上のレベルにいる」という自信を身につけたということだ。

 

これまでのアルカラス選手の試合を思い返すと、誰とやるときも、誰にも負けない自信を身にまとって闘っていたと思う。

 

ただ、今回のウィンブルドンの決勝は、明らかに違った。

 

1stセットは、ノリノリでイケイケのいつものアルカラス選手ではなかった。表情もどこか不安げで、ミスも多かった。

 

不思議に思いながら見ていたが、冒頭の会見でのコメントを見て合点がついた。だからだったのかと。

 

一方、ジョコビッチ選手は王者の風格を身にまとい、アンフォースドエラーはわずか2本、完璧なプレーで圧倒した。ゲームカウントも5ゲーム連取からの61で最高のスタートを切った。

 

アルカラス選手からしたら、ここでどう思うかで結果は決まる。

 

「やっぱり思った通りだ。勝てないよ」

 

となるのか、

 

「いや、諦めるな。自分の力を信じるんだ!できる、俺ならできる!」

 

そう自分を奮い立たせるか。

 

当然、アルカラス選手は後者だったはずだ。

 

これを、プロだから当たり前という人もいると思うが、プロはみなそう考えるのだろうか?

 

わたしはそうではないと考えている。そう考えると決めている人がそう考えるのだと思う。

 

よく考えてみてほしい。

 

「勝てない」と思っていて案の定、圧倒されたあとに「いや、まだ勝てる可能性はある」と思えるか?

 

普通は思えない。

 

これは、何が起きても「いや、まだ勝てる可能性はある。俺にはできる!」と思い込むと決めていないと無理だ。

 

これを性格と考える人もいるかもしれないが、後天的に身につけられるとわたしは信じている。

 

強い選手、強くなる選手は、こう考えると「決めている」のだ。だから、自分もそう決めて、やる。

 

話を戻す。

 

2ndセット立ち上がりのアルカラス選手が、ノリノリでイケイケのいつものアルカラス選手に戻っていたかといわれれば、わたしは見ていてそうは思えなかった。

 

まだ、もやもやした思いを抱えたままプレーしているように見えた。

 

ここから、アルカラス選手は、徐々に目の輝きを取り戻していくのだ。

 

それは、冷静に自分の今のパーフォーマンスを分析し、やれていなかったことをやり、パフォーマンスを上げ、ミスを減らしたこと。そして、ジョコビッチ選手のミスが少し増えたことがきっかけだったように見えた。

 

結果、先にブレイクに成功し「いける!やれるぞ!」という気持ちが芽生えていったように見えた。

 

3ndセットのはじめには、いつものアルカラス選手になっていた。トレードマークといってもいい、ミスした後の笑顔も出た。

 

このアルカラス選手の完全にテニスを楽しむモードは、他の選手にはない特別なものと感じている。

 

4thセットは取られるのだが、これはある意味で笑顔の出はじめたアルカラス選手の油断と、ジョコビッチ選手の強みである執念による結果で見ていて納得感があった。

 

そして、ファイナルセット。もう一度気持ちを引き締めたアルカラス選手が実力差でもぎ取った。

 

これを見ていて、つくづく人間は「脳」の働きで結果を大きく変えていく生き物なのだと学んだ。

 

メンタルとは、心ではなく脳だ。自己洗脳力だ。

 

そして、ここは、わたし自身の大きな伸びしろでもあると考えている。さらに、これは、ギリギリの試合本番をたくさん経験しない限り伸ばすことはできない。

 

だから、自己洗脳力を鍛えるために、試合に出つづける。そして、生きてる間に生まれ変わる。