死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

古守夕子さま

「甕日記」読みました。

 

甕日記

甕日記

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あなたに初めて会ったあのバスで、あんなにも自然と、普通にお話しできた理由が、この本を読んでわかった気がします。


共感できることが多かった。


私は今、ブログを書いています。このブログを書く前にも、他のブログやFacebookTwitterYouTubeなどで、15年ほど前から、いわば情報発信を続けてきました。


それらの目的は、陸(おか=現実社会)に生きる上での自分の価値を示したかったからです。


人のためになりたい。人のためになっているから、自分には価値がある。


私は、そう思いたかったんです。


自分のこの思いは承認欲求ではないと信じてきましたが、私のこれは、承認欲求でした。


そして最近、悟りました。


人のためになることを考える前に、自分のためになることを考えよう。もっともっと自分に正直に生きよう。自分のために生きよう。

 

人のためになろうとするのはやめよう。


それがきっと、私にとっての正しい生き方だ。


それは、ブログの表現にもあらわれました。2022年11月18日以前の記事と、11月26日以降の記事で違うのがわかります。


また、そのもっと前、2020年の11月には、こんな決断をしました。


ビジネスにおける成功を追いかけるのはやめよう。サラリーマンのままもっと、テニスに生きよう。


これも、根っこにあるものは同じです。自分に正直に生きることにしたんです。自分のために生きることにしたんです。


しかし、これは、簡単に受け入れられるものではありませんでした。


本当にそれでいいのか?
それは人として正しいのか?


そんな風に自問自答する日々が続きました。そうです、世の中で良しとされる生き方と違ったからです。

 

いや、私の場合、私自身もその良しとされる生き方が良いと本当に信じていたんです。


そして、これに関しては、少し考えが修正されました。


ビジネスとテニスは私の人生の両輪で、どちらか片方だけではダメなのだと。そう理解しました。


幸い私は、そのバランスが取れつつあります。

 

ビジネスは陸で、テニスは甕(かめ=現実社会から遠く離れた自分の居場所)。ちなみに、家族は陸。これら3つはすべて、私には不可欠なもの。大切なものなのだ。

 

私はなんだかんだ言って、けっこう陸も好きなんだと思います。この居心地の悪さをむしろ楽しめているんだと思います。

 

武蔵野美術大学を卒業し、社会に出て、陸の全貌をはじめて知った時はだいぶ戸惑いましたが、今はだいぶ慣れました笑


さて、前述の通り私にとっては、書いている時ではなく、テニスをしている時が甕に入っている時なのだと思います。

 

最近は、絵を描きたいとも思いはじめています。たぶんこれは時間の問題で、死ぬまでに必ず、本気の画家をやると思います。

 

そして、それもきっと、テニスと同じ甕の入り口だと思います。

 

私はテニスをやっている時、試合で集中している時に限り、精神が統一され、大自然の一部になるような感覚を覚えます。

 

おそらく間違いなく、それは絵を描いている時も同じです。

 

自分の世界に入り込みます。

 

最後に、このブログを紹介させてください。

 

「死ぬとき笑う」

 

この名前の由来はそのまま。前述の通り、自分にとっての正しい人生を歩むため、自分の道を踏み外さないようにすることが、今の目的となっています。

 

陸と甕の間のような場所でしょうか。いや、どちらかというと陸か。陸を楽しく生きるための自分の場所でしょうか。

 

書くカテゴリーは多い順に、テニス、人生、育児・コーチング、トレーニングです。

 

人生や育児については、共感いただけることもあるのではないかと、勝手ながらに思っています。

 

そしてまた、お会いしたいです。その時は、あえて陸で。