死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

スポーツの怪我に対するアメリカの常識

先日の川角杯の2試合目は3-6で負けたのだが、実はその相手は女子だ。

 

アメリカの強い大学のレギュラーという。

 

300校以上あるいわゆる1部リーグの30位くらいに位置する大学とのこと。

 

185cmという長身でスラッとした体格。手足も細くモデルのようだが、下半身はトレーニングして鍛えているのがわかる。

 

大学からアメリカで、アメリカに渡って初めてトレーナーの指導のもと筋力トレーニングをやることになったという。

 

細いが鍛えられたその全身を効率よく使ってすべてのボールを潰して打つ姿は自然体で美しかった。

 

とはいっても女子なので打ち合えないことはない。

 

が、先にブレイクするも、後半踏ん張りが効かなくなりまくられた。

 

いや、そんな話をしたいんじゃない。

 

その彼女から聞いた話がとても勉強になったのでアウトプットしておく。

 

彼女は最近「脳しんとう」を経験したらしい。その背景は割愛する。

 

アメリカでは、怪我をしたら完全に運動をストップするというのだ。

 

完治するまでやらない。素振りもダメというから驚いた。

 

この話は、根性論などがいまだに残る日本より圧倒的に先を行っている話だからとても興味を持って聞いた。

 

脳しんとうは頭痛やめまいが出て、それがよくなっても判断力などの機能が低下する期間があるらしい。

 

以下もすべて彼女から聞いた話だ。

 

「療養中、毎日、その機能が改善しているかをチェックする簡易テストがある」

 

「定期的に公式テストが実施されていて、その点数が怪我をする前のレベルに戻らないと活動を再開する許可が降りない」

 

「日本とは考え方が全然違う」

 

「私はまるまる1ヶ月何もやらせてもらえなかった」

 

とはいっても、彼女はその必要性と重要性をちゃんと理解している。

 

アメリカは、ここまで厳密に「休む」のだ。

 

それほど、健康体であることが重要ということだ。

 

そして、休養の間に衰えても、一度到達したレベルに戻すのは比較的容易という考え方があるのだろう。

 

もちろん「若い時期は」という条件付きだが、彼女からこの話を聞いて、ベテラン選手も冷静に考えるべきだと思った。

 

成長率が一時的に低下することと、再起不能になること、どちらを避けるべきか?

 

答えは明確だ。

 

この点、日本の考え方は古い。というか、そもそも考えてないから間違っている。

 

そう言えば、先日練習パートナーもこれに関連するとても重要な話をしていた。

 

「テニスの練習をする日は万全な体調で臨むべき。なぜなら、例えば仕事の疲れを残して臨むとプレーの質は落ち、その時の悪いプレーがイメージとして脳に記憶されてしまい、試合でそれを再現してしまうから」

 

もっともだと思った。これも休養の重要性を学んだ瞬間だった。

 

ベテランとなった今、考えないといけないことは、怪我をしないように上手に休養をとりながら、いかに体力や筋力を向上していくかだ。

 

そこで、こんなスケジュールをベースにすることにした。

 

曜|仕事|テニス活動

月|出社|オフ
火|宅勤|テニス
水|宅勤|レッスンand走り込み
木|宅勤|走り込みorテニスandラン
金|出社|オフ
土|休日|テニス
日|休日|テニスor走り込みandラン

 

怪我することなく身体を追い込み、万全の体調でテニスに臨めるスケジュール。

 

もちろん、今後もこのスケジュールはより良いものに改善していく。

 

そして、怪我とウイルス感染はしない(先日コロナに感染して体重が1週間で4kg落ちた)。

 

万々が一してしまった時は、しっかり休み、ほぼ完治してから活動を再開する。

 

さて、これを書いている今は日曜日でテニス後のスタバ。

 

走りに行こう。