死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

中学受験という世界が面白い

良い本に出会った。

 

我が子の中学受験を検討している、または、真っ只中だが上手くいってないという親は読んだ方がいい。

 

 

今小5の愛するひとり息子は中学受験に燃えている。言葉通り、燃えているのは本人だ。

 

「いやいや親でしょ」という声が聞こえてきそうだが、うちは違う。

 

多くの中学受験家庭で燃えているのは親だが、うちはそうではない。完全に本人が主体的に動いている。

 

少なくても私は「勉強しろ」と言ったことがない。いやむしろ「勉強なんかいいから遊ぼうよ」と言ったことがあるほどだ。

 

毎日暇さえあれば勉強している。

 

もちろん、きっかけを与えたのは親だ。「そう仕向けたんだろ?」と言われれば、それは否定しない。妻はそのへんが異常に上手いからだ。

 

だからこそ、私は警戒した。

 

いつの間にか息子以上に妻が燃えはじめる可能性はあると感じていた。

 

そんな妻が読んでいたのがこの本だ。

 

ここには、中学受験の本質と落とし穴が実例で描かれている。

 

しかも、登場人物は仮名だが、塾名や学校名は実名で描かれているから面白い。

 

例えば、本書では実名で記されているが、某大手進学塾は子供の将来などまったくと言っていいほど考えていない、自社のビジネス=難関校合格者数稼ぎしか考えていないことがリアルに描かれていたりする。

 

そして、その口車に乗せられ、洗脳される天才児の親。

 

すごい世界だ。

 

これが現実なのだ。

 

しかし、この本のいいところはここではない。中学受験の本質が書かれている点だ。

 

中学受験の本質は、第一志望校合格という「結果」にはない。自分は挑戦する勇気を持っているという自己肯定感の獲得という「過程」にあると言うのだ。

 

すべての受験生を「必勝」させる方法はないが、すべての受験生を「必笑」させる方法はあると。

 

まったくその通りだと思った。これを読んで私は「中学受験はとても良いものだ」と確信した。

 

もちろん、「親が間違わなければ」という条件付きだが。

 

以下は本書を読んだ後の中学受験に関する私の個人的な考え方だ。

 

中学受験は、学力を高める世界ではなく、人間力を高める世界で、偏差値が上か下かがすべてではない。

 

当たり前だが、偏差値表の上の学校が良い学校で、下の学校が悪い学校のわけがない。

 

偏差値と家からの通いやすさだけで学校を決めている時点でもう大間違いをしているということだ。

 

第一志望から、例えば第六志望までの学校が、本当の意味で志望順だとしたらそれも間違いだ。

 

受ける学校は偏差値は違えど、すべて第一志望校であるべきなのだ。

 

ではどうやって志望校を決めるのか。

 

文化祭や見学会、説明会にたくさん足を運び、その学校の価値観や校風で決めるのだ。

 

そうやって1つ良い学校を見つけたら、それに似た価値観をホームページなどで打ち出している学校をピックアップすれば効率よく見つけることができる。

 

子供が受験当日はじめてその学校に行くなど論外である。

 

そう考えれば、受ける学校も偏差値の異なる3校で十分だ。その3校ならどこに入れても嬉しいと思える、学力=偏差値の異なる第一志望校3校を決める。

 

親が燃えるべきは、むしろここのサポートだ。情報を収集して、子供と一緒に学校を見に行き、子供に合う素敵な学校を3校探す。

 

妻は、これを既にやっていた。

 

この本を読んでから妻といろいろ話し、そして安心した。

 

妻は、間違った方向には燃えない。

 

そして、息子は、小3ではじめて塾に通ってから今までで既に、ただでさえ高い自己肯定感をさらに高めている。

 

うちは、なにも心配ない。

 

必笑できる。