死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

両親の影響を受けまくりの人生じゃん

出社するために家を出て、駅に向かって自転車を走らせていたら、なぜかふとこのことに気づき、涙が出そうになった。

 

自分は、なんだかんだいって、両親の影響をまろに受けて生きているんだな。

 

父は、もともと六本木に事務所を構えて第一線で活躍するグラフィックデザイナーだったが、大学卒業後に始めたテニスが大好きの健康オタクだったこともあり、ある日突然「新たなチャレンジを始める」と整体師に転身した。

 

結果論ではあるが、そのチャレンジはお世辞にも成功したとは言えない。今はもはや単なるテニス好きの健康オタクだ。それでも、そんな父親を誇りに思っている。これからもやりたいことを存分にやってもらいたい。

 

母は、前も書いたが、自宅で絵画教室をやっていて、シュタイナー教育がどうとかこうとか言いながら、今もずっとアートの近くで生きている。最近、本腰を入れて「自分の絵」を描きはじめたらしい。

 

この人はこの人で、なかなかの意欲の持ち主で、70代になってもやりたいことをやり続ける姿勢は見習わないといけないし、これまた誇らしい。

 

ここには書ききれないが、父と母のすべての要素を今の自分は持っているなと、ふと思ったのだ。まさにこのハイブリット(+アルファ)が自分なのである。

 

以前も書いたが両親と同じで大学は武蔵美。テニス好き。挑戦好き。デザイン事務所もやってた。経営センスは皆無。職人肌。母が子どもたちに絵を教えて喜びを感じるように、自分は子どもたちにテニスを教えて喜びを感じている。最近は、テニス選手活動を続けるために健康オタクになり、父が昔やっていたように毎朝ルーティンをこなしている。ついには母のように筆を握って絵も描き始めた。

 

なんだか笑えてくる。

 

両親がやっていないことといえば、先輩と起業してバングラデシュに行ったことやマーケティング業、YouTuber、そしてブログくらいだろうか。あぁ、路上で音楽を流しながら絵を描いたこともあったか。3,000円でその場で描いた絵が売れたのは自慢だ。

 

それ以外は今も昔も、両親が夢中になっていることを自分も夢中になっているだけだ。

 

10代までは、父が言うことはすべて正しいと思い込んで生きていたのを覚えている。

 

20代になるとそうとは限らないことを知り、父とは違う自分の考えを持つようになり、それをぶつけて意見するようになったことも覚えている。

 

それ以降は、両親を超えているような錯覚を覚えていたのも覚えている。何をもって超えていたんだ?わからない。何となくだ。そう、それは単なる若気の至りだ。

 

そして今思うと、ただ、両親を足したのが自分という、ただそれだけだった。超えてなんかいなかった。いや、育児に関してはより良い育児をしている。いや、まだそれも言い切れない。

 

というか、超えているかどうかなんてどうでもいい。

 

ただただ、父と母を足したのが俺だ。

 

笑えてくる。

 

と同時に不思議と感謝が込み上げて涙をこらえた。風が冷たかった。