死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

もうひとつの挑戦をはじめる

孫泰蔵さんの「冒険の書」を読了し、決意したことがある。テニスと仕事以外にもうひとつ、挑戦をはじめる。

 

この本に、こう書いてあったことに心打たれた。

 

あらためて、教育とはなにか。それは、大きな問いに立ち向かっていく姿を後に続く者に見せることではないか。時代とあわなくなってしまったもの、変な方向へ行ってしまったものを変え、「人々を救うためにはどうすればいいか?」「この地球を良くしていくためになにをすればいいか?」を生涯をかけて探求し続けることなのではないか。それこそが「勇ましい高尚なる生涯」であり、それそのものを私たちは後に続く者たちに遺していけばいいのではないか。

 

そうだ。諦めてはいけない。

死ぬまで立ち向かおう!

 

そう思った。

 

この「勇ましい高尚なる生涯」とは、この本で内村鑑三氏の言葉として紹介されている。

 

内村氏はこう言ったという。

 

「後世のために、世の中をより良くするために、大きなお金を残しなさい。それができなければ、事業を残しなさい。それもできなければ、思想を残しなさい」

 

これらはまさに、これまで私が挑戦してきたことだった。しかし、ことごとく失敗に終わり、自分の器の小ささを思い知り、へこたれ、今に至る。

 

思想を残すとは、例えば本を書いたりすることでもあるので挑戦中ではあるが。

 

ではどうすればいい?
自分には価値がないのか?

 

ビジネスではなく、テニスに注力すると決めてから、そう考えずにはいられなかった。

 

しかし、この言葉には続きがある。

 

「それもできなければ、世の中をより良くするための活動、あなたの姿勢そのものを残しなさい。それは、必ず後世のためになる。これなら、誰にでもできる」

 

後世のために、姿勢で示せ。

 

涙が出そうになった。挑戦する自分自身に、その存在に、価値があるというのだ。どんなに小さな存在でも、その姿勢は後世に響く。

 

思えば、息子が生まれてから12年、彼はいつも私に次の問いを投げてくる存在だった。

 

「パパはどうなの?パパはやってるの?」

 

私はそのお陰で成長できた。口で言うのではなく、自らの姿勢で示そうと努めてきた。

 

そして、孫さんは、これこそが教育ではないか?と問うのだ。

 

私は、自分のこれまでの経験から、直感的に「間違いない」と思った。何より、救われる思いだった。

 

自分には価値がある。

 

たとえお金や事業、思想を残すことができなくても、これならできるのだから。

 

だから、死ぬまで本気の挑戦を続けることに決めた。

 

最後に、何をするのかについても書く。

 

今は、自分のためにしかならない、自己満足でしかない、テニスという挑戦をしているが、それは引き続き私にとってとても重要な活動だ。

 

だからそれを継続しながら、並行して社会をよりよくするための挑戦も始める。

 

テーマは「子供のための大人の役割」とでもいおうか。それを言語化し、世の中に広めていく。理解者を増やしていく。

 

私と私の妻は、我が子の才能を最大化するノウハウを持っている。簡単に言えば、その肝は、我が子の自己肯定感の最大化だ。

 

多くの、子を持つ親が、それをまったくといっていいほどできていないと感じてきた。

 

多くの大人たちが子供の性質を誤解しているのが根本原因とも考えている。

 

ひとりでも多くの大人たちがすべての子供の性質を理解できたとき、社会はより良くなると考えている。

 

その実現に少しでも近づく活動をする。

 

まずは、それに気づいている大人たちを集めてコミュニティを作る。仲間を増やす。

 

さて、どこから声をかけようか。