死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

本を書くことにした

先日、ふとそんな決意をしたので今日はそれについて書いておく。

 

大学体育会庭球部でコーチをしていると一部の部員が部活に励むことに疑問も持ち始めるという問題に出くわす。

 

「大学は社会人なる前の準備期間なのに、部活を第一に生活をしていていいのだろうか。もっと他にやるべきことがあるのではないか?」

 

わからなくもない。

 

昔は将来のことなど考えずに今やりたいことに没頭できたが、今の時代は違う。

 

情報化社会では「よき社会人になるために大学でやるべきこと」といった情報が黙っていても彼らのもとには届く。悪いメディアが不安を煽ることも少なくない。

 

そう考えはじめてしまう彼らは決まってレギュラーになれるかなれないかギリギリのライン以下の部員たちだ。

 

代によってはメンバーの入れ替わりにより不運にもチーム全体のレベルが低くなってしまったためにレギュラーであってもほどほどの活動にとどめてしまうケースもある。

 

そして決まって、そのマインドに陥った彼らの表情からは輝きが失われていく。

 

さらに残念なことに、それで彼らの就活が華やかなものになるかというと必ずしもそうではない。

 

むしろ、部活を最前線でバリバリやっていた部員たちの方が就活でも生き生きしているのはこれまで何人もの部員たちを見届けてきて明らかなのだ。

 

この問題は毎年必ず出てくるのだが、この時にコーチとしてどんな働きかけができるかをずっと考えてきた。

 

これがなかなか難しい。

 

どんな言葉を届けてあげられれば、生き生き組に自ら進める気づきを与えることができるのか。

 

私は古き悪しき昭和なコーチではない。本人の意志を重視しながら支援していくいわゆるコーチングを実践するタイプだからこういうことを考えてしまう。

 

そして、考えはじめてから4年ほどが経った今、ようやくその答えが出た。

 

今年、新三年生になった女子部員がそれに陥りかけ、相談に乗ったことがあったのだが、その時、ふとその答えが出たのだ。

 

「大学は社会人なる前の準備期間。だからこそ部活を第一に生活をして問題ない。他に熱意を持ってやりたいと思えることがないのなら、むしろそうした方がいい。なぜなら…」

 

そして、それを伝えてからの彼女は変わった。テニスも人間性も急成長しはじめたのだ。

 

この答えに気づき、発信できるのは、大学を卒業してからこれまでフリーター、フリーランス、起業を経験し、現在一般企業のサラリーマンをしながら大学体育会庭球部のコーチとベテランテニスのアマチュア選手を実践している私しかいないかもしれない。

 

「体育会」という切り口の本は今までに多くない上、体育会に関わっている人や関わることを考えたことのある人は国内にたくさんいる。

 

書店でこんなタイトルの本がならんでいたら、彼らはそれを手に取るのではないだろうか。

 

「体育会の真実」

 

一見、負の側面を明らかにする本のように映る刺激的なタイトルだがそうではない。体育会は学生たちの素晴らしい未来に繋がっている。それが真実なのだ。

 

よし、書く。