死ぬとき笑う

だから、自分に正直に、自分のために。

勝つ力があると信じる

先日、新型コロナに感染し、1週間寝込んだ。

 

仕事に復帰した頃には、体重が4kg減り、鏡に映る自分はひと回り細くなっていた。

 

数年かけて強化してきた身体を1週間で失ったことを理解した時はショックだった。体力も明らかに低下した。

 

復帰し、久しぶりにテニスをすると、幸いにもボールを打つ感覚はそれほど衰えていなかった。

 

ところが、すぐにバテる。

 

だから、少し経つと下半身の踏ん張りが効かなくなり、集中力も長くは続かないために判断が後手後手になる。

 

結果、ミスが増える。

 

明らかに弱くなっていることを思い知らされる。

 

まぁ、当然だ。これはもう受け入れるしかない。その上でどうするかだ。

 

問題は、12/10土の横浜市民大会40才シングルス4R,QFまでにどこまで戻せるか。

 

今は走り込みも少しづつ再開している。

 

そして今日、テニスをして気づいた。

 

実は病み上がり初日に茅ヶ崎市選手権40才シングルスに出ており、その日にも気づいたことだ。

 

「病み上がりだから弱ってる。だから勝てなくても仕方ない」

 

それは事実かもしれない。しかし試合に出るならば、試合前にそう思って本番を迎えてはいけない。勝つために本番に臨まなくてはいけない。いや、それをした時に初めて、その時間が自分の糧になる。

 

それに気づいた。

 

「自分には、勝てる力がある。勝つ」

 

ハッタリでも、そう信じて臨まなくては、その経験が自分の糧になることはない。いや、そう考えて臨んだ時にはじめて、その糧は最大化されるのだ。

 

今日のテニスでは、「自分には勝つ力がある。勝つ資格がある」そう信じ、言い聞かせ、最後まで戦うことに注力した。

 

今は、自分史上最強とは言えないかもしれない。それでも、横浜市民大会40才シングルスを優勝する力が俺にはある。その資格がある。それだけの活動をしてきたし、これからもするのだから。

 

俺には、勝ち切る力がある。

 

今日も身体にムチを打って下半身をいじめ抜いた。明らかに動きは戻ってきている。大丈夫だ。

 

もちろん、楽な戦いなどひとつもない。それこそ、サッカーのワールドカップのような、ギリギリの戦いが待っている。

 

それでも俺には、その戦いに勝てる力がある。最後まで自分の力を信じて戦い抜く。