死ぬとき笑う

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技術の言語化の使い方

今回は「技術の言語化」をテーマに、私が感じていることをまとめてみます。

 

42才になった今でも自分のテニスのレベルを上げられていると感じることができています。

 

ここで言う「テニスのレベル」は、試合に勝つための能力です。

 

2020年の11月に神奈川県選手権年齢別シングルス優勝という目標を定めて、本気のアマチュア選手活動を始めると決めてから、コーチを付けずにひとりで研究を重ねてきました。

 

それまでの私は、商業テニスコーチとして多くの経験を積んできました。しかしそれは、選手を育てるコーチではなく、一般の方の娯楽を支援するコーチです。

 

学生時代もたいした選手経験はありません。

 

もちろん、当時は選手という自覚を持ち試合に出ていましたが、身近なものに出ていただけ。

 

その時その時は本気ですが、今のように目標を持って、確実に上を目指し日々活動する、いわゆる選手生活はしていませんでした。

 

なので、選手とはこういうものだと知ったのは最近のことです。

 

今日の話は選手生活を経験してはじめてわかった、技術の言語化の正しい使い方です。

 

万人に当てはまるかはわかりませんが、多くの人が以前の私と同じように落とし穴にハマっているように感じます。

 

参考にしてみてください。

 

技術の言語化とは、例えば次のようなものです。

 

「スイングスピードとは、ラケットのヘッドスピードのことで、出力の高いボールを打つためにはヘッドスピードを上げる必要がある。ラケットヘッドが手を追い越していくイメージで打つとヘッドスピードを上げられる」

 

「一歩目を早くし、かつラリーのリズムを掴むためにはスプリットステップが不可欠。それは、相手の打点に合わせて構えながら両足均等に着地させる動作」

 

テニスコーチをしていると、こういったことを考え、生徒をチェックし、伝え、第三者を上達に導くのが当たり前で普通のことと考えるようになります。

 

しかし、選手として勝利を目指した時、それでは上手くいきませんでした。いや、そういったシーンはごく僅かに限られていたと言った方が正しいかもしれません。

 

「いやそれは、試合で必要なすべてのショットが打てるだけの基礎があるからではないか?」と問われればそうです。

 

ただこれは、レベルを問いません。中級者同士の試合に慣れている人は、中級者同士の試合に必要な基礎があると考えて間違いありません。

 

なのでこの話は、試合に挑戦している中級プレーヤーにも言える可能性があると考えています。

 

その基礎があるのに必要以上に技術を追いかけてしまっているテニスプレーヤーをよく見かけます。

 

取り組み方をわかりやすく言うとこうです。

 

「試合中のこの場面では、あそこにこれだけの出力でこういう軌道かつ球種のボールを打つべき。だからここをこうやって打つ。と意識しながら繰り返し打つ」

 

多くの人がこういった取り組みをしています。しかし私は、これをやってしまうと遠回りすると考えています。

 

基礎があれば次のように取り組めます。なぜなら、これこそが他の動物にはない人間の特殊能力「想像力」を活かせる瞬間だからです。

 

「試合中のこの場面では、あそこにこれだけの出力でこういう軌道かつ球種のボールを打つ。とイメージしながら繰り返し打つ」

 

つまり、理論ではなく、イメージと感覚で取り組むということです。この方が早く強くなれます。

 

理論が好きで、考えて取り組んだ方が早く上達できると信じてやまなかった私が現にそうでした。

 

なし得たい結果をイメージして打ちます。

 

例えば、前述のヘッドスピードの話であれば、そのアドバイスを理解した上で、ヘッドスピードが早くなっているイメージを持ってプレーするだけです。

 

「手首を返す」などと意識し、手首に指令を出して「動かして」いると習得までに時間がかかってしまいます。

 

技術の言語化は、プレーイメージの精度を高めるためのインプットにすぎません。

 

プレーするときは、なし得たい結果と良いプレーイメージを意識します。

 

このように、なし得たい結果と良いプレーイメージを追いかけていると、試合中、それは自ずと戦術的なイメージに移行していきます。

 

「こっちにこういうボールをしつこく打ってからこっち」

 

となります。

 

これが選手が試合中に考えていることです。いや、考えていないかもしれません。「感じている」ことです。

 

それではまた!