3-6, 4-6
悔しいです。けど相手の方が強かった。
一番辛かったのは、初めから最後まで相手のリターンが浅くならないこと。3球目攻撃をまったくやらせてもらえませんでした。
とは言え、この敗戦は学びがたくさんあったので、振り返りと合わせて、ここに残しておきます。
1stセットは、相手がしっかりスライスでバックハンドに集めてきて、なかなか優位な展開を作れず、先にリードを許しプレッシャーを感じながらプレーさせられ、焦りが力みにつながりミスも出て取られます。
2ndセットは、力みを取るために相手との対話により意識を集中します。その結果、力みが抜け、明らかにパフォーマンスを上げられている(ミスを減らせている)ことを感じ、相手のバック攻めを攻略します。
しかしリードは奪えず、最後は競り負けました。
試合後に、相手選手といろいろ会話させてもらいました(この時間がとても貴重だなと改めて思います)。
その時彼が言っていたことが最大の敗因で、目から鱗でした。
「大事なところで楽にポイントをくれたことに何度か救われた。ダフォもそうだし、リターンミスもあった」
これは以前から自覚もありましたが、彼の言う大事なポイントとは、私が考えていた30-30や40-40よりも、特に彼からカウントして15-40の時でした。
「『あーもう取られる』と思ったら意外とポイントが取れて『あ、追いつけた』『あ、取れた』となることが何度かあったのが救われた。サービスゲームにもリターンゲームにもあったよね」
さらにこう話してくれました。
「自分からカウントして40-15の時は、これまで通り淡々とやるより、これまで見せていないプレー、例えばネットプレーなどで自らポイントを取りに行くことを積極的にした方がいい。40-30は状況によるけど、40-15はもっと自ら行くべき。堅実なプレーを選択せざるを得なくなるこっちのプレーに合わせて打ち合ってくれたから助かった。あそこで積極的にポイントを取りに来られたら嫌だし、取られるとそのまま流れまで持っていかれるからね」
確かに。あと1ポイントの難しさはこれまで何度となく考えてきましたが、40-15と40-30でも違うというところまで考えが及んでいませんでした。とても大きな学びを与えてくれた相手選手に本当に感謝です。
そしてこの敗戦には、もうひとつの学びがありました。
それは2ndセットに自分で感じたことです。
これまでこのブログでも何度か話してきた「相手との対話」そして「リズム」、このふたつが今日の試合中、次の言葉で融合しました。
「すべてとの調和」
さらに、
「そうか。テニスは芸術を作る作業なんだ。1ポイント1ポイントが奇跡を生み出す作業だ」
と試合中に考えていました。
は?と思う方が大半だと思いますし、とても説明するのが難しいのですが、自分のためにも言語化にトライしてみます。
フェデラーが以前、チャレンジシステムの導入によって審判のラインジャッジの質が低下したのではないかという問題についてこういった主旨の話をしているという記事を読んだ記憶があります。
「テニスの試合は、選手はもちろん、主審、線審、ボールキッズ、観客、みんなで作る芸術。だから、審判は選手同様にプロ意識と責任を持って取り組まなくてはいけない」
私の今日の気づきは、これに近いと勝手に解釈しています。
私の場合、テニスの1ポイント1ポイントは芸術作品を完成させる作業で、さまざまな奇跡が重なって成り立った時に、価値のある作品が完成するものと考えた方が、自分自身のプレーの質を上げやすいのかもしれません。
例えば、風が強かったり、日差しが強く眩しかったりすると、選手のメンタルはその影響を受けます。それらも含めすべてが調和した時、芸術と言えるような素晴らしいプレーが生まれている。
そう考え、ひとり納得しました。
実は今日も、風が比較的強く、日差しもありサーブがとても眩しい難しいコンディションだったんです。
相手との対話だけでなく、これら自然界とも対話する必要がありました。そして、相手のラリーのリズムに自分の動作を合わせ、打ち合いながらポイントを奪うための変化を生み出す必要があるわけです。
これを私はこの試合中に「すべてとの調和」と表現し、体現しようとした時、フロー状態に近づきパフォーマンスを高めることができました。
これは「考えるな。感じろ」を実践している状況に近いと思います。
ただ私の場合は、「考えるな。感じろ」より「すべてとの調和」と唱えた方が再現性が高いようなんです。
とは言え、再現できるかはわかりません。それでも、次の試合の時もこれを試してみようと思います。
芸術的なポイントを生み出すために、すべてを感じ、すべてと調和しながら、最後はポイントを奪い、勝つことを目指します。
それではまた!